《めてみみ》人生を変えたプラザホテル

2026/05/25 06:24 更新NEW!


 戦後の日本と世界の経済を大きく変容させた出来事の一つが85年のプラザ合意だ。当時、米国はドル高によって貿易赤字と財政赤字の「双子の赤字」に苦しんでいた。このため、日本や英国といった先進5カ国(G5)の財務大臣と中央銀行総裁がニューヨークのプラザホテルに集い、ドル安誘導へ協調介入することを決めた。

 プラザ合意の直前の為替レートは1ドル=240円ほど。それが1年後には150円台まで円高ドル安が進むことになる。自動車1台あたり1万ドルで輸出したとすると、円の対価は240万円から150万円に下落する。輸出が盛んだった日本の繊維産業にも大きな打撃を与え、産業自体が縮小していくきっかけとなった。

 プラザ合意が結ばれた85年9月22日、たまたまこのホテルに居合わせた日本人がいた。先日亡くなった、元小松マテーレ会長、社長の中山賢一氏だ。海外販売拡大に向け、市場調査のために米国を訪れていた。後に自身のキャリアで最も印象に残る出来事としてこれを挙げ、「グローバルに動く経済を実感し、私自身の大きな転機となった」と語っている。

 円高によって多くの日本品は価格競争力を失い、アジアにその地位を奪われていくことになる。一方、コモディティーとは一線を画した差別化品は生き残る。同社の進むべき道を決めたのは、変化を先読みする経営者の目だった。



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