トビリシで知り合ったライターの女性から紹介してもらったのが日本人が経営するバー「Kitchen 梵 -Bon-」だ。ここは、私がベルリンで実現できたらいいなと勝手に夢見ている理想の場所そのもので、羨ましさとオープンに至るまでの経緯に興味があり、オーナーでシェフの小田千鶴さんにインタビューさせてもらった。
「Kitchen 梵 -Bon-」は、2022年にオープンし、今年の11月で3周年を迎えたばかり。オープンからわずか3年で人気店となり、店内は常に活気に満ちている。同店があるVera地区は、トビリシで最も有名な5つ星ホテル「Stamba Hotel」をはじめ、国立美術館、博物館、ブランドショップ、ワインショップ、ショッピングモールなどが点在する人気の観光スポット。オシャレなカフェやレストラン、ファーストフードなども多数で飲食店の激戦区でもある。
「日本にあるちょっと小汚いけど雰囲気が良くて、気軽に行ける居酒屋をトビリシにも作りたいと思いました。なかなか理想的な物件に巡り会えなかったところ、3年前に偶然テナント募集の張り紙を見つけて、ここだ!と運命を感じました。今でも思いますが、本当にラッキーでした。」
前のテナントはアルコール入りのアイスクリームショップだったという。人気はあったもののニッチな上に単価も安いアイスクリームではそこまで売上が取れず苦戦。そんな状況に追い討ちを掛けたのが、ジョージア政府による予告なしの大通り工事だ。店舗の前の大通りが突然封鎖され、車もバスも通れない状態になってしまったら当客ながら客足は途絶える。さらに、稼ぎ時の真夏に営業できなかったことも重なり、オープンからわずか2年弱で閉店に追い込まれてしまった。
「Kitchen 梵 -Bon-」には看板はなく、カウンターメインの店内には提灯やフラッグ、日本語のチラシや習字が壁一面に貼られ、フィギュアにターンテーブルなどが置かれている。立ち上げメンバーと共に全てDIYで手掛けたという内装は、クスッと笑える独創的なセンスと手作りの温かみを感じさせる。
「自分がやりたいと思っていたスタイルではありますが、それ以上に、みんなが求めていると思いました。日本食は寿司やラーメンだけではないし、ファンシーで気取った食事ではありません。もっと気軽に入れて、居心地が良くて、リラックスできる空間を提供したいと思いました。深夜でも定食が食べれて、肩の力を抜いてほっと一息できる、そんな場所にしたかったんです。」
同店の魅力はそれだけではない。Vera地区は富裕層エリアとしても知られており、近隣には高級店も多いが、生ビール6ラリ(約350円)、ジョージアのウォッカと言われている蒸留酒チャチャのショットが3ラリ(約175円)とかなり良心的な値段設定。他にも、看板メニューのチキン南蛮定食、天ぷら定食、刺身の盛り合わせ、おつまみ3種盛りなど、日本食メニューが豊富に揃っている。しかも、夏季の営業は午前4時までとなっており、深夜に来てもごはんが食べられるのが嬉しい。
「ジョージアは物価が安いと言われますが、他国と同じように高騰していることに変わりはありません。それでも近隣の店に合わせて値段を上げる気にはなりませんでした。日本で気軽に行ける居酒屋をイメージしているのに、平均月収の少ないジョージアで、日本の居酒屋より高い値段設定をするのは本末転倒だからです。午前4時まで営業している理由は、飲食店など遅くまで働いているホスピタルワーカーの人たちが仕事終わりでもごはんが食べれるようにしたかったんです。以前はバーが点在するエリアに住んでいましたが、それでも大体の店は2時までしか営業していません。私自身も仕事終わりに行ける店がなくて困っていました。デリバリーフードのメニューはハンバーガーやピザといったファーストフードしかありません。だから、ここに来れば、バーガー以外の何かが食べれる!そうゆうサービスを提供したかったし、それを知って来てくれるお客さんもいます。」

午前4時まで営業にも驚いたが、水曜日には不定期でDJパーティーも開催しているとのこと。テクノカルチャーが根付いているトビリシで、日本人経営のバーがゴリゴリのテクノを流すパーティーを開催しているとあって噂が広まり、平日週末関係なく混むようになった。ちづるさん自身も音楽やパーティーが好きで周りにDJの友人も多く、始めた当初は毎週開催していたという。確かに「Kitchen 梵 -Bon-」のお客さんは国際色豊かでいろんな人種が入り混じっている。
ジョージアとロシアとの間には昔から摩擦があり、しかも、ジョージアはウクライナと親交が深いことから関係性は良くないことが明らかだ。戦争により多くのロシア人が移住してきたことを良く思っていない人が多いのも事実。もし「Kitchen 梵 -Bon-」がジョージア人やロシア人が経営している店なら、ここまでのダイバーシティーにはなっていないと、ちづるさんは言う。
「ここは国境も戦争も関係なく、仲良くできる場所です。ロシアとウクライナの戦争が始まったばかりの頃、トビリシでは激しいデモが毎日行われていました。政治的思想が相反する人たちがヒートアップした状態で集まるわけですから、当時はものすごくピリピリした状態でした。毎日店の前の大通りで激しいデモが行われているのを目の当たりにしていたので、私たちも何かしないといけないと考えるようになりました。現地に住む中立の立場である日本人として、何ができるか考え、当時働いていた男性スタッフと炊き出しに行くことにしたんです。11月末の寒い時期だったので、温かいスープを作って、ガスボンベや薪を持って行き、デモに参加している人たちに配りました。そんな状況下でも毎日店を開けて、トイレを貸し出したり、スープを無料配布したりしましたが、ガスマスクを持って腹ごしらえに立ち寄る人もいれば、おにぎりをまとめてテイクアウトしていく人、デモ終わりに飲みに来る人など、いろんな人がいました。」
ジョージアはとても治安がよく、危険な目に遭ったことがない。しかし、パンデミックと戦争の影響を受け、大きく変化してしまった国のひとつだ。その混乱は今もなお続いている。そんなジョージアの中心地で、千鶴さんたちは温かい日本食と人種など関係なく誰でも来れる居場所を提供し続けている。
「辛いとか大変とか、そういった感情ではなく、とにかく何か行動しなくてはいけないという衝動に駆られました。それほど緊迫した状況だったんです。パンデミックのあとにすぐ戦争が勃発して、いろんな飲食店が自粛に追い込まれて、クラブも営業停止、こんなカオスな経験はどこでもないですよね。実は、もともとはジョージアでなく、バックパッカーをしていた時に気に入ったカザフスタンに住もうと思っていました。料理を作ることは昔から好きだったし、トビリシの知人の店を間借りしながらバー営業していたこともありました。でも、まさか自分の店をこの場所に構えることになるとは思ってもいませんでした。人生何があるか本当に分からないですよね。」
■「Kitchen 梵 -Bon-」
21st Kostava St.Tbilisi, Georgia
https://www.instagram.com/kitchen_bon/

長野県生まれ。文化服装学院ファッションビジネス科卒業。
セレクトショップのプレス、ブランドディレクターなどを経たのち、フリーランスとしてPR事業をスタートさせる。ファッションと音楽の二本を柱に独自のスタイルで実績を積みながら、ライターとしても執筆活動を開始する。ヨーロッパのフェスやローカルカルチャーの取材を行うなど海外へと活動の幅を広げ、2014年には東京からベルリンへと拠点を移す。現在、多くの媒体にて連載を持ち、ベルリンをはじめとするヨーロッパ各地の現地情報を伝えている。主な媒体に、Qetic、VOGUE、men’sFUDGE、繊研新聞、WWD Beautyなどがある。