とうとう、この日がやってきた。
スペイン・バスク地方のビルバオへ向かった。グッゲンハイム・ビルバオでは、生誕100年を記念するルース・アサワ(1926-2013)の回顧展が開かれている。ずっと会いたかった日系米国人彫刻家だ。
アサワを知ったのは、ギャラリー「デイヴィッド・ツヴィルナー(David Zwirner)」のインスタグラムだった。瓢箪を幾つもつないだようにも、未知の生物のようにも見えるワイヤー彫刻。それまで目にしたことのない造形に引き込まれた。「Asawa」という姓が気になって調べると、日本名は朝和愛子。カリフォルニア生まれの日系2世だった。
欧州で彼女の作品を見る機会は、これまでほとんどなかった。いつか本物を見たいと願いながら、その日は来ないかもしれないと思うこともあった。
ワイヤーが生む、もうひとつの彫刻

Ⓒ2026 Ruth Asawa Lanier, Inc, Courtesy David Zwirner
展示室に入ると、大小のワイヤー彫刻が空中に浮かんでいた。彫刻といえば、石や木を削り、石膏やブロンズを型に流し込んで形をつくる。硬く重い塊の造形である。
だがアサワは、金属のワイヤーを自らの手で編み、空気の中に形をつくった。内側と外側を隔てる壁はなく、作品は光を通し、床や壁に繊細な影を落とす。物質でありながら、空気を孕んだシルエットだった。
わたしには、それが彫刻というより、オートクチュールのローブのように見えた。その中に自分の体をすべり込ませてみたいとさえ思った。多くの人は、アサワの作品からイサム・ノグチを連想するのかもしれない。でも、わたしの頭に浮かんだのは、アズディン・アライアだった。アサワはデッサンから作品の完成まで、すべてを自らの手で行った。アライアもまた、デザインから裁断、仕立て、仕上げまで一人でこなすことのできた最後のクチュリエと呼ばれた。二人とも、自らの手で最後まで作品を完成させる稀有な作り手だった。
ワイヤーから生まれた植物のような作品にも、見入ってしまった。金属でできているにもかかわらず、宙に浮かぶ姿は、まるで生きているようだった。写真をiPhoneで撮ると、端末が植物の種類を検索しようとした。それほどまでに、人工物と自然の境界は曖昧だった。




「見ること」を学ぶ
この展覧会は、代表的なワイヤー彫刻だけを紹介するものではない。絵画、ドローイング、版画、日用品や写真、教育活動の資料を通して、アサワの人生と創作をたどる。作品を見て人生を知り、人生を知ることで、作品がまた違って見えてくる。
第2次世界大戦中、朝和一家は日系人として強制収容された。戦後も反日感情は根強く、美術教師を目指しながら資格取得を断念せざるを得なかった。新たな学びの場となったのが、ノースカロライナ州のブラック・マウンテン・カレッジ(BMC)である。
BMCは1930年代に創設された実験的な芸術学校だった。美術だけでなく、音楽、ダンス、文学、数学などを横断しながら学ぶ教育で知られ、ヨゼフ・アルバース、ジョン・ケージ、マース・カニンガムらが教え、学び、制作した。アサワはここでアルバースから「見ること」を学んだ。専門や権威に縛られず、手を動かし、素材を観察し、試す。その経験が後の創作を支えた。
アサワはメキシコの伝統的なワイヤーバスケット(鶏の形だったそう)の技法と出合い、それを彫刻へと発展させた。1950年代には作品が『Vogue』でドレスの背景を飾ったことをきっかけに、広く知られるようになる。作品の量産化を求める声もあったが、アサワは応じなかった。完成品を繰り返し作るのではなく、実験を続ける道を選んだ。

折り紙による初期の作品
暮らしがアートになる
会場で最も心を動かされたものの一つが、自らフォトコピーした「手」の作品だった。指とは思えないほど包帯が巻かれていた。それを見た途端、胸を締め付けられた。
工業用ワイヤーを、機械ではなく指で編み続けた手。この一枚ほど、手仕事に費やした時間と身体への負荷を率直に伝えるものはない。軽やかに浮かぶ作品の背後には、素材を何度も曲げ、編み、形を探り続けた身体がある。
「私の家は私のアトリエ。いつもそうでした」
建築家の夫、アルバート・ラニアーと6人の子どもたちと暮らしたサンフランシスコの家では、育児と制作が同時に進んだ。アトリエで大勢の子どもたちと犬に囲まれた写真を見て、なんて素晴らしい日常なのだろう、と心から思った。
生活を創作の妨げとみなすのではなく、家族も植物も動物も、家に集まる人々も、すべてが芸術につながっていた。子どもたちが安全に制作できるよう、紙粘土など身近で身体に害の少ない素材を選び、美術教育にも力を注いだ。サンフランシスコで母親として暮らしながら、地域の子どもたちや市民とともに作品を作り、公共芸術にも関わった。芸術を美術館や一部の専門家だけのものにせず、人々の日常へ返していった。



Ⓒ2026 Rondal Partridge Archives Ⓒ2026 Ruth Asawa Lanier, Inc, CourtesyDavid Zwirner
ビルバオからサンフランシスコ
アサワは、ニューヨークへ拠点を移すこともなければ、美術界の中心を追い求めることもしなかった。
サンフランシスコで家族と暮らし、子どもたちを育て、地域の人々と作品を作り続けた。
生誕100年を記念してグッゲンハイム・ビルバオで開かれている今回の回顧展は、その人生と創作の歩みをたどりながら、代表作を一度に鑑賞できる貴重な機会だ。残念ながら日本での開催は予定されていないが、アサワの作品はサンフランシスコやニューヨークの美術館で見ることができる。
わたしもまた、いつかサンフランシスコを訪れたい。

■Ruth Asawa Retrospective
9月13日まで
https://www.guggenheim-bilbao.eus/en/plan-your-visit
https://www.guggenheim-bilbao.eus/en/exhibitions/ruth-asawa-retrospective

松井孝予
(今はなき)リクルート・フロムエー、雑誌Switchを経て渡仏。パリで学業に専念、2004年から繊研新聞社パリ通信員。ソムリエになった気分でフレンチ小料理に合うワインを選ぶのが日課。ジャックラッセルテリア(もちろん犬)の家族ライカ家と同居。
