Chiharu Shiota
塩田千春
それはひとつのアヴァンチュールのようだった。さまざまな出来事が目の前に現れ、時にはその中に絡みつくように入り込んだり、泥や水にカラダで覚えるようなイメージにつかったり、廃墟の中を彷徨ったり、ワーグナーの無限旋律オペラの総合芸術に囲まれたり_
目で見ているだけではない、耳で聞いているだけではない、でも何にも触れていないのに、思考と体力を要する、ひとつの旅のようだった。空を仰いだり、導かれるように階段を登ったり、赤い空間を泳ぐように歩いてみたり。かといって、灼熱の太陽の下、砂漠を歩いているのでもなく、雨に打たれているのでもない。
ここはパリ。ル・グラン・パレ内のリニューアルしたばかりのギャラリー9と10.2。塩田千春の展覧会 「魂がふるえる」 の会場だ。
絡み合う赤い糸、迷宮のような空間、魂の震え
1972年大阪生まれ、現在ベルリンを拠点に活動する塩田千春は、パフォーマンスやボディ・アート、インスタレーションを通じて、「存在とは何か」「記憶とは何か」 を問い続けてきた。
彼女の代表的な作品といえば、絡み合う毛糸が空間を覆い尽くすインスタレーション。来場者はその網の目の中に足を踏み入れ、自らの「場所」を見つけながら進む。「不確かな旅(Uncertain Journey)」 というタイトルが示すように、観る者は自分の存在を問い直す旅へと導かれる。
本展は、森美術館(東京)との共催によるフランス最大規模の回顧展であり、キュレーターを務めるのは同館の館長、片岡真実(Mami Kataoka)。片岡さんは塩田の作品に長く関わってきたキュレーターであり、彼女の視点を通して本展は組み立てられている。1200㎡の空間に広がる7つの大規模なインスタレーションを中心に、彫刻、写真、映像、ドローイングなど、多彩な表現が一堂に会する。
展示デザインはAtelier Jodarが手がけ、塩田の作品が持つ圧倒的な空間性を際立たせる構成となっている。インスタレーションには、日常的なオブジェ(椅子、ベッド、ピアノ、衣服など) が織り込まれ、それらを包み込むように赤い糸が張り巡らされている。それは、「誰かがそこにいた」という記憶の痕跡を象徴し、目に見えない感情や時間の流れを可視化する試みだ。
塩田はこれまで、日本、韓国、台湾、オーストラリア、インドネシア、中国などで巡回展を開催し、本展の後も2025年10月からイタリア・トリノのオリエンタル美術館へと巡回する予定だ。2015年のヴェネツィア・ビエンナーレでの日本館展示以降、彼女の作品は世界中で注目を集め続けている。
彼女のインスタレーションに立ち尽くすとき、私たちはただ「見る」のではなく、そこに「存在する」ことを試される。それは単なる空間ではなく、時間が織り込まれた迷宮であり、記憶と感情が絡み合う場だ。
魂がふるえる_ その意味を考える必要はない。ただ、身を委ねればいい。



■Shiota Chiharu: The Soul Trembles
Le Grand Palais
3月25日まで
https://www.grandpalais.fr/en/event/chiharu-shiota
塩田千春に関する新刊書籍『CHIHARU SHIOTA』
塩田千春の創作の軌跡を探るモノグラフ Chiharu Shiota – Beyond Consciousness が、Skira Milestones Contemporary Masters コレクションの第一弾として刊行された。彼女の初期のキャリアと創作プロセスに迫り、インスタレーションアートの核心にある「不在の存在」「記憶と時間」といったテーマを掘り下げる。
塩田の作品は、空間に張り巡らされた糸によって、目に見えないつながりや記憶の痕跡を可視化する。近年の作品では、かつてパフォーマンスで表現していた身体性が、オブジェへと変化し、観る者に深い没入体験をもたらす。本書は、その独自の芸術性を解明し、制作の背景にある個人的な体験や感情 についても光を当てる。
編集はDenise Wendel-Poray が担当し、Christelle Pélissier-Roy(Aix-en-Provence 美術館館長)、Andrea Jahn(クンストミュージアム・シュトゥットガルト)らが寄稿。
出版社:SKIRA
仕様:フランス語・英語併記 / 240ページ / 150点の図版収録 / ISBN 978-2-37074-263-6 / 価格 55€
そしてもうひとり、日本人アーティストの展覧会 河原温: Early Works
23 novembre 2024 – 25 janvier 2025 108, rue Vieille du Temple, Paris

On Kawara: Early Works, David Zwirner, Paris, November 23, 2024—January 25, 2025.
© One Million Years Foundation
Courtesy One Million Years Foundation and David Zwirner
河原温_ 初期作品の衝撃と発見
パリのDavid Zwirner Galleryで展示された4点の絵画。それらは、私たちが知る河原温のコンセプチュアル・アートとはまったく異なる表情を持っていた。1955年から56年にかけて東京で描かれたこれらの作品は、河原自身が60年代半ばにほとんどの初期作品を東京国立近代美術館に寄贈する中で、わずかに手元に残した極めて貴重なものだった。
ロンドンとパリで同時開催されたこの展覧会は、アーティストの遺産管理を担うOne Million Years FoundationとDavid Zwirnerの協力によるもの。パリでは、ほぼ奇跡的に残されていた4点の初期作品が展示された。コンセプチュアル・アートに転向する前の河原温が、戦後の東京で何を考え、どのように表現していたのか——それを垣間見る、極めて貴重な機会だった。
戦後日本の心理を描く、しかし直接的ではない
1950年代、河原温は東京のアヴァンギャルド・アートシーンの一員として活動しながら、戦後の日本に漂う精神的な傷跡や不安をテーマに作品を制作していた。しかし、彼の手法は、戦争の悲惨さをストレートに描くものではなかった。
彼が選んだのは、「心理的な衝撃の痕跡を表現する」 というアプローチ。キャンバスの中では、幾何学的なモチーフや歪んだインテリアの空間が、不穏なまでに収縮したり膨張したりしている。その中には、うごめくような線、虫やワーム、空の皿や家具といった要素 が散りばめられ、鑑賞者の視線を迷宮のように彷徨わせる。
中でも、原爆の影響や戦後の心理的な余波を感じさせる要素が見て取れる。直接的な描写こそないものの、戦争の爪痕がもたらした心理的な重圧が、歪んだ空間や抽象化されたモチーフの中に込められているように感じられる。これらの作品に漂うのは、不安と沈黙、そしてある種の諦念のようなものだ。色彩は抑えられ、構成は張り詰めている。それらは、彼が後に確立するコンセプチュアル・アートのミニマルな表現とはまったく異なるものの、時間や記憶といったテーマへの関心はすでに兆していた。
なぜ、この4点が特別なのか?
1960年代半ば、河原温はそれまでの作風を完全に捨て去り、新たなスタイルへと移行する。「Date Paintings」シリーズ をはじめ、時間と記録に基づくコンセプチュアル・アートへとシフトするにあたり、彼は過去の作品のほとんどを手放した。
このとき、東京国立近代美術館に寄贈されなかった、ほんのわずかな作品のうちの4点が、今回の展示作品だった。河原自身が手元に残した、数少ない初期の痕跡なのだ。
そして、それらの作品には、後の「Date Paintings」や「I Am Still Alive」シリーズとは異なる視覚的な力が宿っている。空間のゆがみ、透視図法の否定、そして反復するモチーフ……その全てが、河原温が「時間とは何か」「人間の存在とは何か」を模索するプロセスの出発点となっていたことを示唆している。
David Zwirner Galleryが、この展覧会を実現させたことの意義は計り知れない。アートジャーナリストやコレクター、批評家、そしてコンセプチュアル・アートの研究者たちは、こぞってこの展示に注目した。わずか4点の作品でありながら、それが持つ歴史的な重みはあまりにも大きい。単に「初期作品が残っていた」という事実以上に、河原温の芸術がどのように変化し、何を捨て、何を残したのか を浮き彫りにする展示となった。
この展覧会がもたらした発見と衝撃は、単なる懐古ではなく、河原温の芸術を新たな視点で捉え直す契機となった。
そしてこのギャラリーで現在開催中の展覧会
Frank Walter: Moon Voyage

Moon Voyage, c. 1994 Oil on wood panel
© Kenneth M. Milton Fine Arts
Courtesy Kenneth M. Milton Fine Arts and David Zwirner
Alaïa / Kuramata
アライア / 倉俣
La Fondation Azzedine Alaïa


アズディン・アライアと倉俣史朗――ファッションデザイナーとインテリアデザイナー。この二人を結びつける糸とは何か?
アライアは生前、「布から解放されるため」に倉俣の作品を収集し始めたという。自身のデザインが持つ彫刻的な要素に共鳴し、倉俣の作品に宿る「形の消失」や「軽さ」の概念に強く惹かれたのだろう。一方、倉俣は「最も大きな問題は重力だ」と語り、透過性や浮遊感を追求したデザインで、家具の概念を根本から覆した。
2人の作品は、異なる領域に属しながらも、形を削ぎ落としながら増幅させるという矛盾した命題のもとで、同じ思考の地平を共有していた。
倉俣史朗、アライアの収集コレクションへ
アライアの倉俣作品への傾倒は、単なる憧れではなかった。2005年、彼はすでに倉俣の個展を自身のスペースで開催し、その魅力を広く伝えようとした。さらに、倉俣の妻・美恵子と親交を深めながら、《Pyramid》(1968)、《Luminous Chair》(1969)、《OBA-Q》(1972)、《Glass Chair》(1976)、《How High is The Moon》(1986)、《Twilight Time》(1985)といった倉俣の代表作を次々とコレクションに加えていった。
しかし、アライアにとって最後の「夢」だったのは、アクリルの中に薔薇を閉じ込めた象徴的な作品《Miss Blanche》。この作品をオークションで手に入れることは叶わなかったが、彼は決して諦めることはなかったという。
「アライア/倉俣」展:デザインとファッションの対話
20年の時を経て、フォンダシオン・アズディン・アライアは再び倉俣を讃えた。今回は、倉俣の家具作品だけでなく、アライアのデザインを並列させることで、よりダイレクトな対話が生まれた。
倉俣の《How High is The Moon》のスチールメッシュは、アライアのシームレスなニットドレスと共鳴し、金属の糸とファッションの糸が交錯するように展示された。また、透明なアクリルで構成された倉俣の《Glass Chair》や《透明な棚》の前には、アライアが生み出したモスリンのドレスが配され、光を受けながら、消失と存在の狭間で揺れ動くかのようだった。
家具の形を溶かし、消し去ろうとした倉俣。服の縫い目を消し、構造そのものを軽やかに見せたアライア。どちらも「見えないものをつくる」ことで、結果的に「強い存在感」を生み出していた。
本展では、倉俣の家具作品20点以上と、アライアのデザイン約20点が対峙する形で展示され、形態の抽象性に対する二人の異なるアプローチが交差する場となった。
倉俣の軌跡をたどる
本展と並行して、アライアの旧アトリエでは、倉俣と関係のあったイッセイミヤケのアーカイブ数点が特別展示された。倉俣が内装を手掛けたミヤケのブティックは、彼のデザイン哲学を最も象徴的に体現した空間のひとつであり、今回の展示は、彼と日本のモード界の関係を再考する機会となった。
また、倉俣の妻・美恵子さんを迎えたトークイベントも開催され、彼の創作の背景や、アライアとの関係について語られた。家具とファッション、そして日本とフランス_ 異なる文化とジャンルを横断する倉俣の足跡が、あらためて浮かび上がる時間となった。
「アライア/倉俣」展は終了したばかりだが、改めてこの展覧会の意義を考えると、それは単なる「ファッションとデザインの対比」ではなかった。むしろ、「形を消すこと」と「形を際立たせること」という矛盾を抱えながらも、二人の作品が響き合う瞬間を見せるものだった。二人のデザインが交差する瞬間に、視覚だけでなく、空間や感覚までもが研ぎ澄まされる。
そして、私たちは改めて問い直すことになる_ デザインとは何か? 美しさとは何か?
オリヴィエ・サイヤールによる書籍『マダム・グレ』
アライア/倉俣展のキュレーションを手がけたオリヴィエ・サイヤールによる書籍 Madame Grès Couture Paris(Rizzoli New York刊)は、20世紀フランス・オートクチュールの伝説的デザイナー、マダム・グレ(1903-1993)の創作世界を紐解く決定版である。
彼女のミニマリズムと身体の自由を尊重するデザインは、古典彫刻を思わせるドレープと完璧なプリーツ技術によって象徴される。優雅で革新的なそのスタイルは、現代のデザイナーにも影響を与え続けている。
本書は、パリのブールデル美術館(2011年)およびSCAD Fash Museum(2023年)での展示に基づき、アーカイブ写真やデッサンを通じて彼女の創作過程を深く探求する。また、サイヤールによる専門的な解説と、マダム・グレの孫娘アンヌ・グレールによる未公開の伝記的エッセイも収録。
出版社:RIZZOLI NEW YORK
仕様:フランス語 / 128ページ / 25 × 30 cm / ISBN 9780847839155 / 価格 60€
Au Fil de l’Or Golden Thread
Musée du Quai Branly Jacques Chirac
7月6日まで
https://www.quaibranly.fr/fr/expositions-evenements/au-musee/expositions/details-de-levenement/e/au-fil-de-lor
金の糸_ 文明を織りなす輝き
金糸は、時代や文化を超えて受け継がれてきた装飾と権威の象徴である。本展では、マグレブから日本まで、中東、インド、中国を含む広範な地域の織物の歴史をたどる。
紀元前5000年にはすでに、金糸は権力者の衣装を飾っていた。ローマ、ビザンツ、ペルシャ、イスラム圏の職人たちは、シルクやリネンの繊維と金糸を絡ませ、芸術的なテキスタイルを生み出してきた。日本では、江戸時代の煌びやかな着物や能装束、婚礼衣装において、金糸の光沢が格式や儀礼の象徴とされてきた。
本展では、伝統的なテキスタイル技術とその進化を、地域ごとのセクションで紹介。現代のファッションにおいても、金糸はグオ・ペイ(Guo Pei)らの作品を通じて、新たな表現へと発展を遂げている。ケ・ブランリ美術館(Musée du quai Branly – Jacques Chirac) 主催のもと、キュレーターのハナ・アル・バンナ=シディアック(元北アフリカ・中東文化遺産部門長)と、マガリ・アン・ベルソン(アメリカン大学パリ校助教授)が企画。
黄金の糸は、文明の交差点を映し出す。 伝統と革新が織りなす本展は、ファッションやテキスタイルに関わる人々にとっても、新たな視点をもたらすだろう。
展覧会カタログ

Paris, musée du quai Branly – Jacques Chirac,

Pékin (Beijing), Chine
本展に合わせて刊行されたカタログ Au fil de l’or. L’art de se vêtir de l’Orient au Soleil-Levantは、金糸とテキスタイルの歴史を科学的かつ芸術的な観点から深く掘り下げている。マグレブ、日本、イラン、マダガスカル、インドといった地域の金糸を用いた衣装の文化的背景と技術的な発展を探る一冊である。
200点以上の図版を収録し、豪華なブロケードや刺繍のディテールを視覚的に堪能できるほか、デザイナーのグオ・ペイによる現代の作品も収められている。彼女の創作は、モロッコのカフタンやイランの刺繍、インドのシルク、さらには日本の歌舞伎衣装と対話し、黄金の糸が生む美の系譜をつなぐ。さらに、3Dデジタル顕微鏡による金糸の細部解析 など、テキスタイル研究の最新技術を活用したページもあり、伝統工芸の奥深さを新たな視点で探ることができる。
編集は、ハナ・アル・バンナ=シディアック と マガリ・アン・ベルソンが担当し、34名の研究者や専門家による論考を収録。歴史、芸術、科学、技術の視点が交錯する充実の内容となっている。
出版社:SKIRA
仕様:フランス語版 / 256ページ / 200点の図版収録 / ISBN 978-2-37074-219-3 / 価格 47€
松井孝予
(今はなき)リクルート・フロムエー、雑誌Switchを経て渡仏。パリで学業に専念、2004年から繊研新聞社パリ通信員。ソムリエになった気分でフレンチ小料理に合うワインを選ぶのが日課。ジャックラッセルテリア(もちろん犬)の家族ライカ家と同居。