《連載 次代への襷》⑥ 宮城興業 (本紙1月23日付け)

2013/06/19 21:09 更新


 毎日夕方、終業時間になると、若手社員がぞろぞろと工場内の一室に集まってくる。時間を忘れて黙々と靴作りに打ち込む。雪深い山形の紳士靴工場の夜は長い。  十数年前から靴好きの若手を研修生という名目で採用している。現在16人。英国の靴メーカーで修行した男性をはじめ、東京の靴学校出身者など全国からものづくりを志向する若者が集まる。就職難の下、仕事のやりがいを求め、東北の有力銀行を中途退社した人や芸大出身者も面接にやってくる。同社では研修生に対し、仕事が終わった後、工場内で余った材料や道具を使い、創作活動のための場を開放している。それとは別に社長が技術的なことを教える場も設ける。  昨年、研修生の中から皮革業界の靴部門で賞を受賞した女性が出た。渡辺繭子さん(27)は入社して1年余り。働きながら山梨から東京の靴教室に通った後、本格的な生産現場を希望して移り住んだ。工場では底付けや木型入れなど、通常は男性がするような力仕事をこなす。「手作りと同じ丁寧さがありながら、正確で早い」と技術の高さを実感した。志を持った同世代で切磋琢磨(せっさたくま)しつつ、ベテランも親身に応えてくれる環境は希少だろう。  研修生第1号は、13年働いた末に独立して東京に事務所を構えた。しかし、高橋和義社長は「せっかく教えても独立されてしまっては通常、会社は成り立たない。だが、長い目で見れば歓迎すべきこと」と言い切る。若手を教育することで60歳以上の熟練職人も刺激され、工場に活力が生まれる。いまどきグッドイヤーウェルト製法の設備まで導入し、工場を設立するような人はいない。個人の工房やデザイナーとして独立する人がほとんど。「当社とはライバルではなく、作り手として協力し合える関係になりうる。工場を軸に良い循環が生まれるはず」と見ている。  「会社を残すよりもやっていることを残したい。将来的に新しい事業体が生まれてもいい」と高橋社長。それを継承してもらうためにも若手を活用し続ける。   【企業メモ】▽創業=1941年▽所在地=山形県南陽市▽業種=紳士用革靴製造が主力


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