元デサント社長 飯田洋三さんを悼む 2度の危機、再建に力尽くす

2026/09/28 17:30 更新NEW!


飯田洋三さん(1994年撮影)

 元デサント代表取締役社長の飯田洋三さんが7月7日に92歳で亡くなった。伊藤忠商事の岡藤正広代表取締役会長CEO(最高経営責任者)が発起人となり、9月28日に帝国ホテル東京でお別れの会が行われた。同会委員長は小関秀一デサント社長が務めた。

 34年徳島県生まれ。同志社大学商学部で経営学の第一人者、岡村正人教授に師事する。58年3月に卒業後、同年4月に伊藤忠商事に入社。80年輸入繊維部長、84年衣料本部長代行。

 85年に「マンシングウェア」の在庫過多から経営危機が表面化したデサントの常務(86年から代表取締役副社長)に就き、立て直しに辣腕(らつわん)を振るう。3年で赤字を解消させ、社長就任(94年)後の96年度には再び売上高1000億円企業へとよみがえらせた。

 ところが98年には売上高の約4割にあたる400億円を占め、営業利益の約半分を稼いでいた「アディダス」とのライセンス契約が終了。希望退職者の募集や生産の削減、物流拠点の東西集約、組織改革など大手術を断行したほか、商標権取得ブランドを含む自社ブランドの強化に取り組み、〝アディダス・ショック〟からの克服を図った。社長職を4期8年務めたのち、02年6月に相談役になり、04年に退任した。

 アディダス社との契約終了に関する会見(97年11月)で語った「ライセンスビジネスは非情かつ冷徹」という言葉はあまりに有名だ。関わるブランドに愛着が出てくるとライセンシーであっても自社のものと錯覚しがちだが、実は「ブランドホルダーのほうが圧倒的に強く、相手が契約終了と言えば抵抗のすべがない」。だからこそ、『ブランドは借り物ではなく自分で育てよ』との警鐘は、デサントのみならず他社にも重く受け止められ、ファッション業界全体が商標権取得やオリジナルブランド強化の流れを加速させる契機になった。

(杉江潤平)



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