祖母のお葬式のために一時帰国して以来の日本。帰ってこなかった理由は様々だけど、何より自分の”浦島太郎”っぷりに一番驚いた。23区の土地勘と地下鉄の路線図を忘れてしまい、本当に19年間もこの街に住んでいたのか!?と自ら疑ってしまうほど。
街灯が少なく、道も店も暗いのが当たり前のベルリンの街に慣れ過ぎてしまい、キラキラした東京の街は、まるで穴蔵から久しぶりに地上に姿を現した時のように見えるもの全てが眩し過ぎて、全てが過剰に思えた。世界一と言われているトイレのハイテク具合とキレイさとそこら中に無料で設置されていることにおののき、駅のホームに響き渡る機械音のアナウンスのリピートに頭が痛くなった。
オリンピックを来年に控えたこの街は、もう十分過ぎるほど都会で便利なのに、不必要に高層ビルを建てまくり、原宿駅のように数少ない歴史的建築物を壊してしまうという美しい日本の風情を自ら破壊していっているように思えた。何より、無人のレジや前述した駅のアナウンスといった機械化は、人間こそが不必要であるという証明のように思え、何も考えなくてもすべての物事が進んでいく便利さは、人間の思考回路を止め、ロボット化させていく危機感と違和感でいっぱいになった。
これは、東京が変わってしまったのか?それとも自分自身が変わったのか?その答えは両方にあると思うけれど、救いだったのは、そういった環境にいながら同じ考えや危機感を持っている人が身近に多かったことと、渋谷をはじめとする一部地域を除いて、驚くほどの街の変化がなかったことである。
当初、予定していた北参道にある友人のオフィスを借りずに、今回初めて浅草に滞在することを選んだのも、Booking.comのブラックフライデーでお得だったからだけでなく、近くに用事があったからだけでなく、無意識に都心を避けていたのかもしれない。仕事の用事で渋谷界隈に出る時は、正直遠くて面倒だったけれど、1週間の滞在に下町を選んだことは正解だったと思っている。
”東京のブルックリン”と呼ばれているニュースポット蔵前にある”結わえる”は、玄米の専門店で、風情ある建物と魅力的な商品がズラリと並んでいた。ベルリンでは、白米や白いパンではなく、玄米や麦、穀物を中心に食べているため、こう言った店には非常に興味があった。
そして、毎日でも通いたい新橋の居酒屋の豊富さには今さらながら驚き、感心した。東京在住時代は、中目黒がホームでその界隈で飲むことがほとんどだったため、新橋方面へ行くことが少なかった。だから、今でも全然知らない土地のままで、どこに行っても新鮮だった。何を食べても美味しいと思えるのは、やはり自分が日本人であり、日本食が世界一だと思っているからなのだろう。
昼と夜とで違う顔を見せる隅田川を毎日眺めながら歩くのも良かった。どこかベルリンに流れるシュプレー川を彷彿させる雰囲気があり、見ていると妙に落ち着いた。19年間の東京生活の中で、隅田川の花火大会さえ見た記憶がない。東京を知ったような気になっていたけれど、実は一部しか知らなかったことに気付き、その知っていたはずの場所は全く別のものに変化してしまい、この街は私の知らない街になってしまったのだと改めて。
長野県生まれ。文化服装学院ファッションビジネス科卒業。
セレクトショップのプレス、ブランドディレクターなどを経たのち、フリーランスとしてPR事業をスタートさせる。ファッションと音楽の二本を柱に独自のスタイルで実績を積みながら、ライターとしても執筆活動を開始する。ヨーロッパのフェスやローカルカルチャーの取材を行うなど海外へと活動の幅を広げ、2014年には東京からベルリンへと拠点を移す。現在、多くの媒体にて連載を持ち、ベルリンをはじめとするヨーロッパ各地の現地情報を伝えている。主な媒体に、Qetic、VOGUE、men’sFUDGE、繊研新聞、WWD Beautyなどがある。