ゴムホースから着想したという独自形状のソールが特徴的なランニングシューズ「On」(オン)。駒田博紀さんは、このオンをわずか5年で日本の人気ブランドにした立役者だ。国内のランニングシューズ市場は国内外の大手ブランドが席巻している。そうした中でまったく無名のブランドをどう市場に広めたか。もがき悩みながら見いだしたのは、自らがコミュニティーの中に入って発信し、ファンの輪を広げることだった。
コミュニティーにまずは飛び込む
――どのような経緯でオンに関わるようになったか。
オン・ジャパンの立ち上げ前は、DKSHジャパンで時計の「タイメックス」や「モンディーン」などを担当し、セールスとマーケティングに従事していました。
同社が13年からオンの日本総代理店を務めることになり、タイメックスの(スポーツウォッチである)アイアンマンシリーズでスポーツ流通向けに卸売りをした経験があったため、私が担当になったのです。聞いたこともないブランドで、正直乗り気ではありませんでしたが、社命ですから引き受けざるを得ません。サンプルを2足渡され、嫌々ブランドサイトを見た記憶があります。
ただ調べてみると歴史は浅いけれどテクノロジーはしっかりしています。またデザインもかっこよく、素直にひかれました。そこで腰を据えて関わることにしたのです。
言うまでもありませんが、ランニングシューズ市場は非常に競争が激烈です。「ナイキ」や「アシックス」「アディダス」「ミズノ」といった大手ブランドがシューズ市場の7割を席巻し、残りをその他多くのブランドで占めています。
当時、設立3年目のオンは、日本では文字通り無名。売り場に入り込む余地さえありませんでした。
しかし会社から命じられていたのは、3年以内に4大ブランドの一角に食い込むこと。しかもマーケティング予算は億円規模ではなく数百万円程度。そうした中でどうしたらマーケットに浸透できるか。考えた結果、無料で拡散できるSNSとブログを駆使するしかありませんでした。自分自身が(オンのDNAである)トライアスロンを始め、大会に出て、競技を続けることでブランドの良さを実名で発信しましていくことにしたのです。
――どのように伝えていったか。
トレーニングの様子や出場した大会の感想などを、自らの肉体に刻み込まれた記憶とともにつづっていきました。そしてイベントにブース出展した際は来場したお客様一人ひとりに友達申請をしていったのです。
インパクトは大きくありませんが、実際、これしか方法がありませんでした。とにかく大会に出て、もがきながら競技に挑戦し続けました。
きっかけが仕事であっても熱心に取り組むうちに挑戦そのものが徐々に楽しくなってくるから不思議です。仕事なのか趣味なのか。その境界があいまいになればなるほど、次第に親身に私とオンを応援する人も増えていきました。
14年4月に一つの目標にしていた「宮古島トライアスロン」を完走し、フェイスブックでそれを報告すると、すごい勢いでお祝いや賞賛のコメントが寄せられました。そのとき、自分は問屋や店を飛び越え、ランナーのコミュニティーに既に飛び込んでいることを実感したのです。
ブランドを発信する際、エンドユーザーにたどり着く前に、問屋や小売店、コミュニティーの指導者など、実は何段階ものフィルターが入ります。さらにマーケティングコミュニケーションも飽和しているため、コミュニティーの外側からいくらボールを投げても、中に届くのは至難の業です。ならば、自らコミュニティーの中に飛び込み、内側からボールを投げるしかないと思います。
――なるほど。声が届き始めた。
とはいえ、すぐにビジネスが軌道に乗ったわけではありません。結局、会社から提示された目標数値には到達せず、14年9月に会社から契約を解除する旨が通達されました。
しかし、オンはもはや私の人生、生きがいになっていました。「会社が契約を解除したのでオンとの仕事はもうやりません」などと、これまで応援してくれたコミュニティーや取引先、サポートアスリートに簡単には言えなくなっていたのです。
自分のマーケティング手法の手応えとオンへの潜在需要を強く感じていた私は、創業者の一人、キャスパー・コペッティ氏に思い切って直談判しました。「長期的にブランドを日本に根付かせるためには、日本法人が必要だ」と。もちろん、可能なら自分もジャパン社に関わりたいと思っていました。
すると15年1月に本国スイスへ呼ばれ、日本法人化と私のセールス&マーケティングディレクター就任が決まったのです。その時、「必ず成功させてみせる」と決意を新たにしました。
全精力を注いで3年で売上高10倍
――ジャパン社を立ち上げて以降は。
15年5月から18年12月は、「サバイバル期」です。とにかく、何が何でも店を開拓し、売り上げを作り、回収し、利益を出し、社員を路頭に迷わせないよう奮闘しました。財務的には本国の強力なバックアップがあったとはいえ、二度と日本からオンを撤退させないようにしなければなりません。セールスとマーケティングに全精力を注ぎ込むと、3年弱で売り上げを10倍にできたのです。
――どうやって急成長を果たせたのか。
大会にブース出展し、お客様に手売りし、SNSでつながり、自ら競技に挑んで顔と名前を出して情報発信する。こうした手法は変えていません。ただ、そのつながりの中にメディアや小売店関係者が入ってきて、ビジネスを助けてくれるようになったのです。そうした人の力が大きく働き、急速に広がっていきました。
――急成長したその後は。
19年1月から20年12月は、「再構築」がテーマとなりました。会社設立後数年はスタートアップ特有の〝イケイケドンドン〟で、出荷方針もセルインを重視していました。しかし、スタッフ数に限りがあったので、小売店へのサポートが行きわたらず、地方店ではセルアウトが伸び悩むところが現れ、そのために次の受注につながらないケースも出始めていたのです。
そこでセルインではなく、セルアウトを重視するよう方針を転換。製品を納めて終わりではなく、卸先の在庫状況を知り、どう売るかについて共に知恵を出し合うようにしました。そのために卸先のサポートに特化した組織「テックレップ」を設立しました。「売り場がオンの客層やテイストに合っているか」「スタッフがブランドを正しく理解しているか」「ディスプレーがオンの世界に合っているか」など、物と人、そしてハコの観点で見定め、改善の手伝いをするのです。参考にしたのは、オンのドイツ法人。テックレップを立ち上げたことで停滞期を克服していたのです。
日本では現在、フルタイムで7人がテックレップとして稼働しています。19年は全国の取引先を広く薄く、一通り巡ってサポート。その中で打てば響く店が見つかり、さらにテコ入れしたことで20年1、2月にはセルアウトが劇的に良くなった店が出てきました。
――そこに新型コロナが襲い掛かってきた。
営業自粛が広がる中、在庫が重たくなる取引先が出てきました。そこで店を助けるために事前オーダーのキャンセルや返品を受け入れたり、セルインを極限まで減らしたりすることを決断。当然、当社の売り上げは減ります。しかし、店とともに成長したいという思いがあったので、そうしました。幸い、夏には本国がジャパン社の増資をしてくれたので、財政的な危機は回避できました。
そうした中でもテックレップ活動は継続しました。他ブランドが店へのサポートを取りやめる中、あらゆる手段を駆使してケアを続けたのです。そのかいあって、「コロナ禍でも伸びている数少ないブランドの一つ」と言われるようになりました。20年12月期業績は目標には届きませんでしたが、セルアウトは伸びており、自信につながっています。
――これからは。
21年からの3カ年は「飛躍期」としたいですね。テーマは三つ。一つ目は、ランニングシューズ市場でトップ5に入ること。現状、国内市場で6、7番手と推定していますが、トップ4を間近に見える位置に立ちたいですね。二つ目は、オンがスニーカー流通で広く目に触れられるようにすること。テレワークの浸透で、仕事と日常生活との境界が無くなりつつあります。日常を過ごしやすくする機能性の高いウェアや靴へのニーズが高まっており、オンでもオフでも使いやすいシンプルな当ブランドのポテンシャルを感じます。三つ目がアウトドア市場の開拓です。ランニングシューズのイメージが強いオンですが、トレイルランニングや登山用のシューズも多く展開しています。正にジャパン社を立ち上げたころのように、目下、積極的に取引先を広げています。
■オン
10年に元プロアスリートのオリヴィエ・ベルンハルド氏と友人のディビット・アレマン氏、キャスパー・コペッティ氏がスイス・チューリッヒで創設したシューズブランド。「ソフトな着地と爆発的な蹴り出し」をコンセプトとした靴は、スイスの最先端テクノロジーを採用・開発し、「雲の上を走るような感覚」とランナーから評される。現在、世界50カ国以上、6500店以上の専門店がオンのランニングシューズを扱い、ランニングシューズ業界では「最も成長率が高いブランド」と言われる。15年4月に全額出資して設立したオン・ジャパンは現在社員21人。業容拡大に伴い、20年11月に横浜の新社屋へ移転した。
《記者メモ》
仕事にやりがいを持てない人は少なくないが、駒田さんを見ると、きっかけは何であれ、目の前のことに本気で取り組めばその仕事を愛せるし、生きがいになると分かる。
さて、そんな駒田さんが目下挑戦しているのは、循環型再生シューズの実用化だ。トウゴマから得られるひまし油を固形化してシューズのパーツに活用、パフォーマンス靴を作り、使い終わったら回収・粉砕し、溶かして、再びシューズ用のパーツに生まれ変わらせるプロジェクトだ。オンではこれをサブスクリプション(定額利用)制で回し、21年秋から提供を始める。日本では登録者が3000人に達すればプロジェクトが稼働するが、残念ながらまだ200人程度しか集まっていないという(20年12月下旬時点)。
日本人の環境意識はこの1年で劇的に高まったと言われるが、こうしたシステムにはなじみがないためか、様子見が多い。「壮大な社会実験」に多くの人をどう巻き込むか。駒田流マーケティングの真価が問われそうだ。
(杉江潤平)
(繊研新聞本紙21年1月13日付)