銀行退職後家業に入ったのが、システムの2000年問題が取りざたされていた世紀末。総務部に配属、その後商品部へ配属になり物作りに携わります。産地を訪問するまで自分の物作りに対するイメージは、海外の一貫工場でした。産地を訪問して驚いたのは、布帛のハンカチーフに関しては国内生産の製品がまだまだ多く、また、1枚のハンカチーフを製造するのに多くの工場と人が携わっている分業体制であることです。
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ハンカチーフ以外の製品は、ほとんどが海外生産になっており、ハンカチーフとは違った工程を経て製品化されていることも勉強させてもらいました。また、入社して2年目に初のヨーロッパ出張に行く機会があり、当時商品部を統括していた専務(叔父)と麻の原料を確認することとヨーロッパブランドのライセンスアプルーバル業務に帯同しました。
物作りにたけているわけでもなく、ヨーロッパのマーケットに詳しいわけでもない素人の私は、この出張では単に専務とスタッフに付いていくだけで荷物持ちみたいなものでした。ただ、専務とスタッフの市場に対する視点やデザインに対する考え方、ブランドとの付き合い方、海外における食を含む文化の楽しみ方などが私には大変勉強になりました。私にとって物作りに対する考え方の転機になったのは間違いないです。
(ブルーミング中西社長 中西一)
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「私のビジネス日記帳」はファッションビジネス業界を代表する経営者・著名人に執筆いただいているコラムです。