モード服生み出す丸一墨田工場 「都内でデザイン物」を

2019/10/12 06:30 更新


【ものづくり最前線】丸一墨田工場 モード服生み出す小さな下町工場 「都内でデザイン物」を強みに

 衣料品製造卸の丸一(東京、一ノ瀬広行社長)の墨田工場は、縫製スタッフ7人の小さな工場。栃木県にあった自社工場を譲渡し、14年秋に新たに東京・墨田区に設けた。コレクションブランドなどのカットソーを主に縫うが、「都心で小ロット対応ができ、デザイン物をうまく縫えるところはほとんどない」(一ノ瀬社長)こともあって、オーダーは常に満杯という。

 工場が手狭なこともあって近隣に移転先を探しており、移転時には設備や機能も増強する考えだ。一ノ瀬社長は、「コストは高いが、都心でやるメリットは大きい」と話しており、将来はスタッフの独立を支援し、工場のFC化も展望する。

「コストはかさむが都内でやるメリットは大きい」と言う一ノ瀬社長

 錦糸町と両国の間にたたずむ墨田工場はわずか70平方メートル。20台前後のミシンと大量の糸、生地でほぼいっぱいだ。整然とミシンが並び、スピードを競うかのように一心不乱に縫う量産工場とは異なり、わきあいあいとした雰囲気が印象的だ。

 スタッフは20代から80代まで幅広く、作業前に熟練のベテランスタッフに教えを請う若手の姿も。「うちは他と違ってノルマ制を敷いていません。難しい仕事も少なくないですから、間違ったまま続けるよりは相談してもらった方がいい」。スタッフは全員日本人だから、細かいニュアンスも伝えやすい。

柴田工場長の父親が80代で最高齢

 墨田工場を立ち上げる時に工場長に任命されたのが柴田好弘さん。かつては丸一の外注先だった柴田縫製を家族で営んでいたが、一ノ瀬社長に誘われて、今も現役の父親ともども参画した。「家族経営だと、次に継ぐ人間が居なければ自分の技術も継承できない」。柴田さんは工場長に就いた理由をこう話す。

「家族経営のままだと技術の継承はなかった」と話す柴田工場長

 一ノ瀬社長が栃木から東京に工場機能を移した理由は明快だ。「地方だと人が集まりませんから」。先行きを見通せないなかでは投資も出来ないし、それならコストはかさむが可能性のある都内に、というわけだ。

人手・仕事不足に困らない

 都内に工場を設けるメリットは多い。「物にはよるが、翌日Tシャツ40枚納品してくれと言われても対応できる」。プリント屋も近隣にあるし、都内を車で常に回っている専任者がいるから手配は早い。縫製スタッフが数カ月前に手掛けた商品をショップで自分が間近で見ることができるのも都内ならではだ。何より、人手不足に悩むことはなくなったのが大きい。「ファッション専門学校などで募集をかけるとすぐに集まりますから」

やる気とセンスさえあれば、簡単なものなら数カ月程度で仕事はこなせるという

 技術力にも定評がある。営業の小林和孝さんは、「リピーターのクライアントに関しては、B品率の少なさや難しい仕様にも応えられている点」と言う。少量発注から始まるが、「結局全てお願いされることが多い」と小林さん。難しい仕事も柴田さんや柴田さんの父親などベテランがこなして、新人や中堅社員にみせる。「真っ直ぐ縫うなら誰でもできるが、ベテランは生地を触っただけでセットの仕方もわかる。経験値が違う」。間近で技術を伝えることができるのは同社の強みになっている。

縫い方が難しいものは、立ち止まってベテランに教えを請う

工場経営はトントンで

 工賃の値下げ交渉は珍しくないが、「断ります」と一ノ瀬さん。技術力やクイック納品などの小回りの良さが価値だから、値段競争はするつもりはない。「よそでどうぞ、って言います」。結局、探しても適当な工場がなく戻ってくることが多いという。難しい仕事も多いから、工賃はひと型ごと決める。

 仕事が引きを切らないため、工場の機能や生産拡大を目的に近隣に移転先を探している。「200平方メートルぐらいあれば、裁断機も置けるし、スタッフも増員できる」。技術にはこだわるが、一方で自動化できる仕事は自動化したいと考えている。

 稼働は順調だが、工場経営の収支はトントンでいいという。受けた仕事を外注に出し、それが利益の源泉となっている。自社で全てを担うと予定通りにいかないこともあってリスクが生じるが、外注先は納期も含めて計算が立ち、数字がブレない。「実際に自分たちが作ったものを出すことが多いから、外注先も安心して縫える」

 同社は08年に中国・南通にも工場を設立している。140人のワーカーを抱え、裁断や縫製、検品の機能を有する。受注内容に応じて、日本と中国の工場を使い分ける。「仕事は逃がしません」と一ノ瀬社長は話す。 

《チェックポイント》都心工場の可能性

 「都内の工場にはチャンスしかない」と言い切る一ノ瀬社長。墨田区周辺の家族経営やそれに近い小規模工場はピーク時の10分の1ほどに減るが、発注元に近く、仕事が丁寧、さらに技術も高い都心の工場はレアだから、仕事が引きを切らないのも宜(むべ)なるかな、である。

 デザイナーブランド中心の受注で常に半年先までスペースは埋まっている。都内は地代・家賃などコストは高いが、人手や仕事が不足して悩むことはない。「東京だから利益が出ない、というのは違うと思う」。工場経営だけでなく、様々な事業を手掛けているというのが背景にあるが、そのバランスをうまく取れば持続可能だという。相対的に高い商品の仕事を受けているのも理由だ。

 都心であれ地方であれ、工場経営のみで利益を上げるのは至難の技。もし、利益を上げ続けているのであれば、どこかで無理を生じさせているケースが多い。モノを作る機能以上のものを用意しないと、工場の未来は暗い、というのは丸一の例からうかがえる。

《記者メモ》常にチャンス探して

 元々、土木関係の仕事をしていた一ノ瀬社長が、マルイチニットだった父親の会社に入ったのは20歳の時。10年ほど前に代表に就くと同時に社名から「ニット」を外した。

 OEM(相手先ブランドによる生産)以外に自社ブランドやECも手掛けるが、これから始める予定の人材紹介業や電子たばこの代理店、中東への民族衣装の販売など多角化している。社名からニットを外したのは、そんな理由からだ。

 「アパレルやってると疲れることばかりなんで、色々やらないと」と一ノ瀬社長は笑うが、広く事業を構えることで回り回ってアパレルの仕事につながることを経験上知っている。

 1年に三つは新しいことに挑戦する、というのを自ら課している。うまくいかないことももちろんあるが、前期の決算は過去最高益だった。常にチャンスを探し、事業の可能性を探るその姿は、やり方次第で勝ち残れることを示している。(永松浩介

(繊研新聞本紙19年9月4日付)

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