ミュージアムへ行こう!vol.5

2015/08/17 12:02 更新


 この連載では、デザインやもの作りのインスピレーション源となるような、知る人ぞ知る服飾系ミュージアムを紹介します。

◇  ◇

大阪・天王寺 ボタン博物館

ボタンでひも解くヒストリー 世界各地の5000点を収蔵

 大阪の繁華街・天王寺の程近く、地下鉄四天王寺前夕陽ヶ丘駅から徒歩3分、複数の寺院が並ぶこの下町に、ボタン博物館はある。服飾服資材メーカーのアイリスが88年11月22日の「ボタンの日」に東京・日本橋に開設。区画整理のため、現在は大阪で仮開館している。

ステイタスとして

 世界各地のコレクションを集積し、5000点を収蔵、うち1500点を展示している。レプリカは紀元前4000年のものから、本物は紀元後5世紀以降のものを保管。ボタンだけを集めた常設の博物館は、世界でも珍しい。趣向を凝らしたボタンに思いを巡らせると、様々な歴史が浮かび上がってくる。

 ボタンの〝華の時代〟は、18~19世紀。17世紀まではダッフルコートのトグルのように、ひもやチェーンで引っ掛けるタイプが主流だったが、18世紀よりボタンホールが広まった。時はフランスブルボン王朝。ルイ14世は全身にダイヤモンドをまとったという逸話があるほどで、ダイヤモンドのボタンも誕生した。もはや留めるという機能がなく、装飾性とステータスシンボルを表すものとしても使用された。

 一転して19世紀、英国のヴィクトリア女王は、夫を亡くして以降、黒玉が付いた喪服を着続けた。一般にも黒が流行し、黒玉は大変高価だったため、黒ガラスボタンが普及。彫りで装飾性を出す技術が高まった。ほぼ同時期に、日本はパリ万博に薩摩焼の技法で作られた陶製のボタンを出品。人物や花鳥など日本の風物を題材とした絵が描かれ、「サツマボタン」として注目された。国は違えど、同時代に後世に残るボタンが作られており、歴史を重ねて鑑賞するのも楽しい。

大型で豪華なボタン「ヴィクトリアンジュエリー」は、世界的に流行した
大型で豪華なボタン「ヴィクトリアンジュエリー」は、世界的に流行した

 

復調の兆しも

 アパレル企業やファッション関係の組合、服飾専門学校生など、様々な人たちがデザイン研究に訪れている。「展示を見て、いかに今のボタンが装飾性に乏しいか、驚く人がほとんど」と、金子泰三館長。「ボタンは連なって付けるため、どうしてもコストと見られがち。そのため、非常に景気に反映されやすい」という。ただ、明るい兆しもある。これまでボタンは小さく作られる一方だったが、高級紳士服ブランドから水牛ボタンのオーダーがあるなど、少しずつボタンにコストを掛けようとする兆しが表れているという。

 昨今流行しているビジューボタンも、金子館長は、1920年代にシャネルがコスチュームジュエリーを発表し、庶民もジュエリー感覚が楽しめるようになった時代と重なるという。1920年代は、第1次世界大戦が終わり、ファッションが華やいだ時代。「変化は100年単位で起こる。2020年代も、装飾性に富んだファッションが流行するのでは」と、期待も込めて予想している。

■データ■
住所=大阪府大阪市天王寺区生玉寺町3の3アイリス9階
電話=06・6771・8007(完全予約制)
受付時間=10~17時
開館日=木、金(祝日、年末年始、夏季休館有)
入館料=300円



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