サイバーエージェントに新卒で入社、すぐに社長の朝のお迎え運転手を1年務めました。入社時から「社長になりたい」と公言し、事業を立ち上げたいと思っていたので、起業家という人間を知るのにこれ以上の機会はないと思ったからです。
運転手役を終えると出勤。幸運にも最初から新規事業のチームに加われました。大成功したものもありましたが、同時に自分でやりたい思いがさらに強くなりました。具体的には何もありませんでしたが、世界の隅々にまで価値が届くような事業を、というイメージだけはありました。とはいえ、自分は世界を知らなかったので、社内で募っていたベトナムでのベンチャー投資事業に手を挙げ参画しました。
赴任は10年の秋。ハノイとホーチミンで半々の暮らしでした。当時周りで使われているものはiPhoneを代表に、中国や韓国の製品ばかり。日本ブランドはどんどん減っていました。〝日本の物作りが世界を席巻〟とはほど遠く、〝クールジャパン〟も経済圏を作り得ていませんでした。
世界を席巻する商品のアイデアは日本にもあったはずですが、様々な理由でお蔵入りしている。これを何とかしたいと思っていた時に、本社でクラウドファンディングを事業とする新会社設立の話が上りました。日本の技術やアイデア、熱量がこもった製品を世界に届けたいという自分の思いと合致する新事業。「社長になりたい」とうるさく言っていたのが効いたのか、当時の日本の上長から誘いの電話がありました。二つ返事で「社長、やります」と返しました。
(マクアケ社長)
◇
「私のビジネス日記帳」はファッションビジネス業界を代表する経営者・著名人に執筆いただいているコラムです。