《連載 次代への襷》⑪ 尾州×新進デザイナー (本紙2月1日付け)
2013/06/24 21:14 更新
生地見本がめいっぱい掛かったラックの間をすり抜けながら、気になった生地を次々と選び出していくデザイナーたち。昨年11月、13~14年秋冬コレクション用の生地を探しに、7人の新進デザイナーが尾州のテキスタイルメーカーを訪問するツアーが開かれた。日本毛織物等工業組合連合会と尾州テキスタイルデザイナー協会が主催し、今回で5回目だ。
普段は商社やコンバーターを通じて生地を仕入れているデザイナーにとって、その場でイメージを伝え、アドバイスをもらいながらデザインを具現化していく機会は貴重だ。「服に占める素材のウエートは高い。バイヤーは、時間をかけて作った服かどうかを必ず見抜く」と、参加デザイナーの石川智恵。
とはいえ、彼らのブランド規模や発注量はまだ小さく、産地側にとってもうかる客ではない。歓迎されない場合もある。しかし放っておけば、いつまでたってもデザイナーは育たない。訪れた産地企業の一つ、カナーレ(一宮市)は、「もうからないかもしれない。でもまあ、いいんじゃないかな。(これは難しいから)作れない、ということは言いたくない」。
デザイナーに配られたツアーの資料には、「スワッチを送ってもらったら、必ずお礼の連絡をするように」というただし書きが。当たり前のことに思えるが、利害を超えたものがツアーを支えてきたことの表れでもある。主催者側も、「いつか産地に恩返ししてほしい」と強調する。
生地は、それを使いこなし、最終製品として消費者に届ける人がいて初めて完結する。参加デザイナーの志賀亮太は、「デザイナーはアーティストではない。その生地を使った服が、どうやったら売れるかを考えるのも仕事」と話す。ツアーをきっかけに、デザイナーたちが尾州の生地で作った服を巡回型ショップで販売する取り組みも行われている。
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日本のものづくりは、それを愛する人たちの熱意や忍耐に守られてきた部分も大きい。しかし、次世代の人たちに襷を受け継いでいくなら、やはり適切な利益をめざすことが必要だ。連載では工場や工房の事例を中心に紹介したが、ものづくりの襷は自らの手で作る人だけのものではない。転ばぬように道路を整えたり沿道から応援する人がいるように、消費者が一枚の服に袖を通すまでには多くの人が関わっている。ファッション業界で働く人々が共に、ビジネスとしてのものづくりの活用を考えてこそ、この先の道を切り開いていけるはずだ。(おわり)