宮城県は11年3月11日の東日本大震災で、死者・行方不明者(1万人超)をはじめ、多くの被害を受けました。県内だけでなく東北の玄関口である仙台市中心部は、復興をけん引し、新たな都市開発を進める役割が重要になっています。市内中心部のにぎわいをさらに高めて、東北全体の活性化につなげていきます。
震災直後を振り返ると、バブルの要素が強かったです。国の後押しもあり、損保などの要件が緩和され、保険金が素早く支給されました。関連したエピソードといえば、タクシー業界の活況でした。保険会社の担当者が震災直後に全国から県内入りしたが、移動手段はタクシーに頼らざるを得ませんでした。当時はガソリンの供給網が寸断し、LPGを燃料とするタクシーの引き合いがすごかったようです。乗客は土地勘がないことから、GPS機能付きが必須でした。その後はがれき処理のための土木関係に集中しました。作業員の日当は通常の2~3倍で、飲食業界は一年間、どこも盛況でした。
12年度は震災特需が一巡し、復興に向けて落ち着きを取り戻した、といえるでしょう。例えば、ギフトはお世話になった人にきちんとした物を贈る機運が高まっています。高額品は首都圏ほどでないが、着実に伸びているのに加え、紳士スーツや婦人服などで本当に良いものを求める需要が目立っています。
市内中心部はオフィスや店舗が沿岸部から移転し、県内外からの転入者を受け入れる新規マンションの建設が相次いでいます。仙台市の人口は106万人強ですが、この一年で転入者が約1万人増加しています。震災直後に被災者が流入したことに加えて、現在も復興が進まない地域からの転入が続いています。中心部はマンションの空室がほとんどない状況にあります。私たちが被災者の方々が元の生活を取り戻すための一助になれば、と思っています。
(2013年07月04日付け本紙)