横浜岡田屋がハワイで欧米トップブランドの店を展開していた頃、教えを受けたのがサンモトヤマの茂登山長市郎さんでした。戦後すぐ海外一流ブランドを日本に紹介した茂登山さんには銀座並木通りの店で海外ブランドビジネスのみならず色々な経験談を折々お聞かせいただきました。その他、銀座マギーの植松昭さんには施設運営や専門店との付き合い方を…。私が今日あるのは、こうした恩師のお蔭様です。
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しかし、振り返ってみると一番の恩師は、前社長で、戦後の荒廃の中で企業を復興して今日の礎を作った岡田屋三代目である父吉朗です。岡田屋を百貨店に変身させ、横浜西口への進出に加え、ピーク時には海外47店舗を展開するパワーを持つ人でした。
その後80年代に岡田屋はテナントで構成する専門店ビル「モアーズ」へと大きく業態を変えましたが、それを認めたのもほかならぬ父でした。
私が若く力のない頃から鍛えてくれただけでなく、自身が進めた百貨店や海外事業からの転換を決断したその姿は、生き残りをかけたチャレンジスピリットそのものです。
横浜岡田屋は今年で135周年を迎えますが、社員には前向きであることの大切さを伝えています。前向きな行動は、いずれ新たな出会いとツキを呼び込みます。そして今後も小さくても強く、そして決して「ありふれない」会社づくりを進めます。今は亡き恩師たちに感謝を込めて…。
(横浜岡田屋代表取締役社長 岡田伸浩)
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「私のビジネス日記帳」はファッションビジネス業界を代表する経営者・著名人に執筆いただいているコラムです。