ここ数年、岡山では週末のたびにグルメフェスやマルシェなどイベントが急増し、街は一定のにぎわいを見せています。しかし、それらのほとんどは「食」に特化したもので、関心が集まりやすいものに追随する形でのイベントが量産されている印象です。もちろん、そういったイベントも地域にとって大切であり、主催者の尽力には敬意を表します。
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ただ、ファッションや文化的側面に光を当てる催しは驚くほど少なく、集まった人がただ「楽しかった」で終わるものが目立ちます。それ自体が素敵な体験であることに異論はありませんが、「盛り上げよう」という掛け声は聞こえても、食を楽しむだけの場にとどまり、その集まりが何を生み出すのかが見えづらいといった状況もある。その場に集まった人々の関係性や感性をどう耕していけるか。その問いに答えるかたちで、26年秋に「PLUG NIGHT」(プラグナイト)の再開を決めました。
「見る・見られる」を
プラグナイトは、当誌が主催していたファッションイベントで、おしゃれする機会の少ない地方特有のジレンマを突破するために始まりました。地方には、街中の人通りの少なさや非日常的な催しの乏しさから、「見る・見られる」という関係性が育ちにくいという根本的な構造があります。
街を歩いても誰かに見られる意識が希薄であれば、必然的に装う動機も生まれません。意図的にそうした関係を設計する装置の不在こそが、装いの必然性を生まない地方の本質的な理由だと考えます。
当初は「おしゃれを強制されるようで気が引ける」といった声もありましたが、回を重ねるごとに〝着飾ること自体を楽しむ〟という空気が高まり、最盛期には4000人近くの動員でにぎわいました。また、イベント前にはドレスやタキシードの需要も高まり、百貨店やセレクト店とタイアップしたプラグナイト向けのスタイリング提案を行うなど、少なからず経済的な効果もあったように思います。


装いが、人と街を同時に高揚させる力を持つことを、私たちは確かに経験してきました。
自分が主人公になる
SNSを開けば、きらびやかな衣装をまとったセレブリティーたちが集うガラや世界各地のファッションパーティーの様子が日々流れてきます。しかし、それらは〝向こう側の世界〟として切り離され、私たちの生活とは無縁なものとして受け取られているのが現状です。
けれど、その体験を「地方」に持ち込むことが不可能だとは思いません。再開にあたり意識しているのは、SNS世代と呼ばれる20、30代の若者たちです。彼らは日常的にネットでつながり合い、情報や体験をオンラインで共有しています。しかし、ファッションは〝視覚情報〟ではなく〝実体験〟であり、〝着こなし〟よりも前に〝出掛ける理由〟が必要です。画面越しに見る「誰かの特別なワンシーン」ではなく、「自らが主人公になれる舞台」を岡山の若者に提供したい。

そして、人と人の間に相互作用を生み、地域の文化的な高まりや感性の共振につながっていくような循環を生み出していきたいと思っています。地方には、装う理由と、それを受け止める場所がもっと必要なのです。

