【訃報】西川俊男元ユニー社長が死去

2015/01/06 17:07 更新


西川顧問写真

 ユニー元社長の西川俊男(にしかわ・としお)さんが1日に死去した。89歳だった。葬儀・告別式は家族葬として近親者のみで行われた。2月11日午後2時から名古屋市西区樋の口町3の19のウェスティンナゴヤキャッスルで「お別れの会」を開く。葬儀委員長は前村哲路ユニーグループ・ホールディングス代表取締役会長。

 1945年岐阜薬学専門学校(現岐阜薬科大学)卒、49年西川屋設立で取締役、63年西川屋チエン設立で取締役、70年代表取締役副社長、71年ほていやと合併しユニー設立で副社長、76年社長、90年代表取締役会長、93年会長、97年名誉会長、03年5月から特別顧問。80年5月から84年5月に日本チェーンストア協会会長を務め、名誉会長だった。

 

《西川さんを悼む》

GMS高度化と多角化進める

   西川さんは、名古屋市中川区の呉服屋の三男に生まれ、父親の勧めで岐阜薬学専門学校(現岐阜薬科大学)に進んだ。卒業後は製薬会社の日本薬化学に勤務したが、衣料品小売りの西川屋を49年に設立し、52年に新店を出したのを機に同社の経営に参加し、63年には西川屋チェンを設立、兄の西川義雄氏とともにチェーンストア展開に乗り出した。71年に同じ東海地区を基盤とするほていやと合併しユニーが発足、同年副社長に就任、76年から90年まで社長を務め、東海、北陸、関東に店舗を持つ大手量販店に育て上げた。

 量販店に進出したのは、61年に米国の小売業を視察し小売業の新時代の到来を予知したことから。洞察力と行動力で、全国に割拠する群雄が覇を競う70年代、80年代の量販店業界でユニーを率いた。「高度化」「多角化」「国際化」を経営のキーワードに、GMS(総合小売業)のレベルアップ、子会社による専門店や金融、サービス分野への参入、香港出店などを進め、事業領域の拡大で、裾野の広い「ユニーの森作り」を目指した。

 

ライバルであり同志だった 岡田卓也イオン名誉会長相談役

日本小売業の近代化を目指して、合併により全国規模のチェーンストア作りを目指したライバルであり、同志だった。大正生まれの同輩を失い、悲しく寂しい。

 



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