2万5000ユーロ。これは、アントワープ王立芸術アカデミー(以下、アントワープ)ファッション科の留学生に来年度から課される年間授業料です。現在の日本円にして約463万円。私が入学した20年頃は5500ユーロ(当時約70万円)でした。わずか数年で、留学生の負担は大きく増えることになります。世界的なファッション教育機関では、留学生に対して高額な授業料を設定することが珍しくありません。アントワープでは政府の支援があり、留学生が少ない負担で教育を受けられましたが、それも難しくなっています。経済的負担が増えると入学する学生の層が変わり、これまでの独自の進級制度も維持できなくなるかもしれません。それは学校のDNAが変化することを意味します。
【関連記事】《アントワープ仕込みの世界ファッション観測》デザイナーに求める「個性」と「比較」
多様性が失われる
授業料が引き上げられると、経済的な理由から入学を断念する人が増え、結果的に学生の多様性を失いかねません。現在のファッション教育では、異なる文化や価値観を持つ学生が同じ環境で学ぶこと自体に大きな意味があります。莫大な予算をかけた作品であっても、限られた予算の中で工夫された作品であっても、評価されるものは評価され、評価されないものは評価されません。その環境こそが、教育の質を高める要素の一つなのです。
授業料の値上げによって留年時の負担が増えれば、学生にとって「進級できるか」が一番の課題になりかねません。これまでは「自分自身の表現を見つけ出すこと」を優先することで、結果的に進級にも良い結果を生みました。しかし、学費の重圧が増せば、学生は「挑戦すること」よりも「失敗しないこと」にとらわれてしまうでしょう。
学生のうちに失敗を経験できなければ、いつ失敗を学ぶのでしょうか。失敗から学べなければ、自分自身の表現を見つける機会も失われてしまいます。

学位を〝買う〟場に
こうした条件が重なった時、教育が「学位を取得するための買い物」になってしまう危険性があります。アントワープは、独自の進級制度で知られています。毎年多くの学生が進級できず、最終学年を迎える頃には大幅に減少します。授業料を比較的低く抑えて広く門戸を開いているからこそ、入学後は厳しい評価が行われてきました。この仕組みは、学校が学位取得だけではなく、学生の可能性を見極める場所であることを示していました。私は、学校とは技術や知識を学び、競い合う場所であると同時に、失敗しながら自分自身の表現を探す場所でもあるべきだと考えています。
教育をビジネスとして成立させることは、現代社会において避けられない側面の一つです。しかし、教育が学位を得るためだけの手段になれば、才能を育むという本来の役割は失われてしまいます。入学も卒業も経済力に左右されるようになれば、教育そのものの意味が揺らぎます。
アントワープはそれとは一線を画す存在でした。今回の授業料改定によって、長年築かれてきた教育文化はどのように変化するのでしょうか。私は、学校の価値はそこから生まれる表現者によって受け継がれていくものだと考えています。だからこそ、学校は学位を得ることだけではなく、未来の表現者が育つ環境であってほしいと思います。

