《あの日あの時》縫製業の一大集積地を襲った東日本大震災 物作りを守る必死の努力(2011年5月27日)

2025/03/11 06:00 更新会員限定NEW!


 繊研新聞が過去に掲載した記事を再掲する《あの日あの時》。当時を振り返られると同時に、今読むからこそ心に響いたり、ビジネスの役に立つ記事を紹介していきます。

 東日本大震災から14年を迎えました。今回は2011年5月27日付、「《立ち上がる東日本》福島・相馬の縫製工場相次ぎ再開 正常化へ懸命の努力」を取り上げます。

 福島は絹織物が有名で、布帛やカットソーなど縫製業者も多く繊維産業と密接な関係がある県。福島第一原発(福一)の事故の影響で当時は風評被害も多く、繊維製品であっても福島で生産された物の納品を小売業者が拒むといった話もニュースとして報じられていました。経済産業省が急きょサンプル検査をし、「問題無し」という声明を出していました。そんな話を聞くにつれ、メイド・イン・ジャパンを裏支えする縫製業者の取材に行こうと決め、被害が大きいと伝えられていた海側の相双地区(相馬郡と双葉町)の縫製産地に向かいました。

(永松浩介)

※プロフィールやデータなどは当時のものです

〈立ち上がる東日本〉 福島・相馬の縫製工場相次ぎ再開 正常化へ懸命の努力(2011年5月27日付)

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