【日本の物作り】帆前掛け、国内外でじわりと広がる

2017/09/18 04:29 更新


《日本の物作り》帆前掛け、国内外でじわり 技術継承、小ロットでも裾野拡大 カフェやキャンプ用、応援グッズに

 一度は消えかけた日本独自の仕事着である帆前掛けが、じわりと広がる。仕掛けたのはエニシング(東京)。英ロンドンや伊ミラノのセレクトショップで定番商品になり、米シカゴのカフェからは新規出店のたびに注文が来る。国内でもキャラクター商品やプロ野球の応援グッズのほか、個人オーダーやギフト、インバウンド(訪日外国人)で需要が増えている。注文の激減で消滅寸前だった工場に若い社員を送り込み、帆前掛けを作り続けるための技術の継承を目指している。

(近藤康弘)

 帆前掛けは古くから酒屋や米屋で使われていた仕事着だ。ガラ紡が盛んだった愛知県三河地区は前掛けの産地として栄えた。戦後、当時は高価だったパンツを保護する実用的な効果に加え、屋号を染めた宣伝目的もあり、三河地区だとしょうゆやみそ、酒の工場、農協、肥料屋、溶接や塗装工場などで広く使われた。全国でも旺盛だった需要が時代の流れで一気にしぼみ、産地の工場も転廃業を余儀なくされた。

 03年にたまたま酒蔵から前掛けのオーダーを受けたエニシングがたどり着いた芳賀織布工場(愛知県豊橋市)は46年に創業し、50年半ばから前掛け用の生地を作ってきた。当時は「作れば売れる時代」(芳賀正人取締役)だったが、60年を過ぎたころにピークを迎えて以降は下り続けた。豊橋で200軒を超える関連工場があり、1日に1万枚以上を生産していたという産地が今では見る影もない。

 工場は赤字が続き、工員も高齢で経営意欲をなくしていたところに現れたのがエニシングの西村和弘社長だった。100枚以下の注文は採算が合わないと断っていたのに、西村社長は「1枚からお願いしたい」と伝えた。その100枚以下に、潜在市場があったのだ。エニシングはそれまでにないデザインで、カフェのユニフォームや、キャンプでの個人使いなど新たな市場を開拓した。「ロットは小さいが軒数は多く、裾野が広がっている」(西村社長)。日本の古い物の良さが見直されているのも背景にあるようだ。

 木造の工場にあるのは豊田N式や鈴木式、遠州製作阪本式といった年季が入った8台の動力織機だ。この織機が味のある生地を織り上げるが、後継者がいなかった。エニシングは4年前に1人、1年半前に2人の社員を採用して工場に駐在させた。今年10月にはさらに2人を配置する計画だ。工場の老朽化や周辺の宅地化が進んだため、来年をめどに別の場所に工場を移転する。「最高の料理を提供する時に無農薬で本物の素材が必要な感じ」と例える西村社長。海外から問い合わせのメールが絶えない。米ジーンズメーカーからも来た。「日本の歴史や文化の背景を調べてコンタクトしてくる」という。共通しているのは前掛けが「クール」という評価だ。現在、1日の生産量は織機1台あたり80枚。生産の効率向上が課題だ。工場に配置した社員の習熟を急ぐ。

年季の入った動力織機が稼働を続ける

日本伝統の仕事着として見直され始めた前掛け



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