1.人口が減り、高齢化することの影響をどう捉えるか
人口減少は、どのような都市で、どのように起こるのか、また高齢化はどのように進行するのか。企業が基盤とする都市の変化の仕方を知ることができれば、有効な対処の仕方も少しはイメージできる。最も避けたい事態は、有効な情報を持たず、何の準備もしないうちに手の付けられない状況に陥ることである。
漠然と人口減少や高齢化を感じることはあっても、それがいったいどういうことを意味するのかまで具体的にイメージすることは難しい。そのことが対応を難しくしている。
例えば、医療費が平成28年度一般会計予算96.7兆円の約4割に相当する40.0兆円(平成26年実績)にまで増えたと言われてもピンとこない。全国に820万戸ある空き家問題も、全国に4~5000あり、毎年4~500ずつ増え続ける公立小中学校の廃校も同様である。
そのような意味では、人口減少も高齢化も大き過ぎるのだろう。普通に日常生活を送り、日常業務に追われていれば、身近にあっても実感として認識しづらい。
しかし、すでに総合スーパーの閉店は発表されているだけでもイトーヨーカ堂、ユニー・ファミリーマートホールディングス合わせて約80店舗に上る。多くの地域で何らかの影響が出ることは確かである。
影響を受けるのは商圏に住む消費者ばかりではない。それらの店舗に納品していた卸売業、物流業、製造業も多くの納入店舗を失うことになる。従業員についても一定期間の保証はあったとしても、先々までの保証は分からない。
新しく店舗ができる時には、様々な点で地域にプラスに働くが、一度地域に定着し、あって当たり前になった店舗が無くなると、多くのマイナスをもたらす。
企業が基盤とする地域の環境与件が大きく変わることを考えれば、抜本的に思想、仕組み、手法を変える必要がある。成長発展期以上にデリケートである。
2. 都市はどのように変化するのか
「日本の地域別将来推計人口(平成25年3月推計)」(国立社会保障・人口問題研究所)には、2010年10月1日~2040年10月1日までの都道府県別、市区町村別の男女年齢(5歳)階級別の将来推計人口がまとめられている。
すでに2010年、2015年は過ぎているから、推計値と実績値との差を知ることもできるし、その理由についてもある程度推測できる(次回以降、触れる予定)。将来を考える上で必要となる情報は、徐々にではあるが増えていることになる。
ここでは、平成25年3月推計のデータを用いて、市区町村別に人口減少、高齢化がどのように進んでいくのか、その特徴、法則を整理する。
(1)市区町村のデータ確認
全国の市町村に東京23区、20ある政令指定都市の区まで加えると約1800になる。これらをいくつかのグループに分け、それぞれの特徴を見る。
グルーピングは、2015年の総人口(都市の人口規模)を用い、全市区町村の約95%を占める35万人未満の都市を対象とした。5万人から35万人までを5万人刻み、その中でも特に数の多い5万人未満の都市(全市区町村の70%弱)については、3~5万人、1~3万人、1万人未満とした。
指標としては、2025年、2035年の総人口指数(2010年=100)と老年(65歳以上)人口指数(同)、そして2015年、2025年、2035年の老年(65歳以上)人口比率%を用いた。2025年、2035年について総人口指数と老年(65歳以上)人口指数の関係を散布図で確認した結果、次のようであった。
①総人口指数が高い方(将来も人口の減り方が少ない、または増える)が、老年人口指数も高く(将来も老年人口の減り方が少ない、または増える)、総人口指数が低い方(将来、人口の減り方が大きい)が、老年人口指数も低い(将来、老年人口の減り方が大きい) = ほぼ正比例の関係にあると言える。
②2025年、2035年とも総人口指数が高くなるにつれて老年人口指数のバラツキは大きくなる。例えば2025年総人口指数70~80の場合、老年人口指数は70~140(レンジ70)、同80~90の場合、同80~160(レンジ80)、同90~100の場合、同100~200(レンジ100)などである。
次に、2015年老年人口比率%と2025年、2035年総人口指数の関係を見ると次のようになる。
一般的に大都市への人口集中が言われることから、人口規模の大きな都市の方が小さな都市よりも人口の減り方は少ないと考えがちである。(★人口指数で見ると分かりにくいが、減少する人数は人口規模の大きい都市の方が多い。都道府県レベルでは2010年対比2040年 最も人口減少幅が大きいのは大阪府140万人、次いで北海道130万人、以下、兵庫県、埼玉県、千葉県、東京都、静岡県、神奈川県、…である。市では大阪市37万人、横浜市22万人、札幌市20万人、北九州市19万人、京都市、神戸市、名古屋市、静岡市…である。)
しかし、2015年老年人口比率%と2025年、2035年総人口指数の関係を見ると、旭川市、秋田市のように30万人超の大都市でも人口は大きく減少する。一方、石川県川北町、富山県舟橋村のように1万人未満の小さな都市でも人口は増加する。
これらを整理したのが図表1である。
図表1
ここでは各グループについて2025年総人口指数の上位5都市、下位5都市を抜粋し、老年人口指数、老年人口比率%と併せて整理した。また、各グループの都市数とそのうち2025年総人口指数が100を超える都市数についてもカウントしている。
図表1を見ると、人口規模に関係なく、全てのグループで上位にある都市の老年人口比率%は20%台前半よりも小さく、下位にある都市は20%台後半から30%台と高い。このことから2025年総人口指数と2015年老年人口比率%の間には一定の関係があると考えられる。
この状況をさらに詳細に確認するため、全市区町村から2015年老年人口比率%が18.0%以下(12.4-18.0%、23都市)、20.0%(19.5-20.4%、31都市)、25.0%(24.5-25.4%、90都市)、30.0%(29.5-30.4%、90都市)、35.0%(34.5-35.4%、77都市)、40.0%(39.5-40.4%、40都市)、45.0%(45.4-45.4%、23都市)、50.0%(50.1-60.9%、17都市)の8パターン、391都市を抜き出して散布図を作成してみた(図表2)。
図表2
(★メモリの関係で50万人超の10都市についてはグラフから外した。名古屋市2015年人口2,288,845人、2015年65歳以上人口率25.0%、2025年総人口指数(2010年=100)99.3、川崎市1,468,329人、20.0%、105.4、広島市1,187,858人、25.0%、99.9、北九州市961,748人、30.0%、92.5、世田谷区895,862人、20.0%、102.4、岡山市712,548人、25.0%、98.4、足立区669,676人、25.0%、91.6、鹿児島市600,670人、25.0%、95.3、八王子市589,857人、25.0%、101.0、姫路市529,510人、25.0%、94.2)。
仮に2015年の人口規模と2025年総人口指数が比例する(人口規模が大きい都市の方が人口減少の仕方が少ない、あるいは増える)のであれば、各都市は左下から右上に向かって直線的に並ぶはずであるが、この図では2025年総人口指数が95~105付近を頂点とする三角形のような形に分布している。
2015年総人口が同じ都市(横のくくり)を見ると2025年総人口指数は大きく分散しており、その幅は総人口が少ない都市(グラフの下)になるほど大きくなる(★人口規模の大きい都市の方が確率的に人口の減り方が小さいとは言えるだろう)。
一方、縦に2015年老年人口比率%が同じ値の都市を見ると、人口規模の大小(図の上下)に関係なく、右から18%以下、20%、25%、...と徐々に左にズレながら並んでいるように見える。将来の人口の減り方は、現在の都市の人口規模ではなく、老年人口比率%と大きく関係していると考えてよいだろう。
このことはいろいろな点で非常に重要な意味を持つ。
現在、「サービス産業の生産性は、地域の人口規模・密度の高い都市で高いことから多くの小売業・サービス業が店舗を大都市に集中させている(★原文では、地域の人口規模・密度が生産性に及ぼす影響が大きいため、小規模経済圏におけるサービス産業の生産性は、三大都市圏を含む大規模経済圏の6割強ほどと、低水準)」(2014年10月第6回日本の「稼ぐ力」創出研究会資料)。
しかし、ここに示した分析結果のように大都市でも将来人口が大きく減少する可能性のある都市は少なからずある。そのような都市に基盤を置く企業は大きなハンデ、リスクを背負いながら2025年、2035年を迎えることになる。
今後、ほぼ全ての都市で人口が減り、急速に高齢化が進む。違いがあるとすれば、その状態に到達するまでの時間=猶予期間と対処する上で有効なインフラ(地勢を含む)、そして知恵と実行能力である。
我国の人口は、1950年9000万人から5~60年かけて12800万人まで増え、また5~60年をかけて9000万人まで減少する。数字だけ見れば以前の水準に戻るだけであるが、大きく違うのは
5%前後しかなかった老年人口比率が40%になること、そして成長発展する人口増加の過程ではなく、急激な人口減少と高齢化の過程で9000万人を通過すること
である。
こまつざき・まさはる エム・ビィ・アイ社長 芝浦工業大学工学部情報工学科非常勤講師。76年芝浦工業大学工業経営学科卒、76年イトーヨーカ堂入社。82年産業能率大学入職(経営開発研究本部・主幹研究員)、97年退職、現在にいたる