ジョンブル塚田代表取締役社長 新体制で様々なチャレンジ

2020/12/14 06:29 更新


 ジーンズカジュアルメーカーのジョンブル(岡山県倉敷市)は、19年7月に国内投資ファンドのキーストーン・パートナーズ(東京)に全株式を売却し、8月に塚田裕介代表取締役社長をはじめとする新体制に移行した。

 北川敬博前社長が「事業承継とともに、会社が次の段階に成長するには新しい人材が必要」と判断して実現したものだ。前期(20年7月期)は、企画や物作りをはじめとした部分で社員の意識改革が進んだ。2年目以降も様々なチャレンジを秘め、新しい提案を繰り出す。

一歩踏み出す勇気を強く持つ

 ――ここに来る前のジョンブルの印象は。

 岡山、特に児島はデニムのイメージがありますが、ジョンブルについては正直、デニムアイテムを作っているイメージはそれほどありませんでした。ミリタリーを提案していることの方が気になりましたね。ユニセックス感覚のレディスにも注力しているけれど、まだ十分な形になっていないようにも見えました。

 ――実際に社長に就任してからの印象は。

 いい意味で歴史にとらわれない会社だと感じました。「こうでなければダメ」というようなものが全くなく、変革には慣れている印象でした。真剣に話を聞いて実行してくれる人材が多かったです。だから時代に合った納得する道を開き、それを示せば、社員は素直について来てくれると思いました。

 社員全体に足りなかった面を強いて挙げるとすれば、一歩踏み出す勇気が競合他社に比べるとまだまだ弱い気がしたことでしょうか。商品など様々な仕掛けをする部分で、アウトにならないぎりぎりのラインを利用せず、真ん中を行っていたイメージでした。社内の常識は、社外ではそうではない場合もあります。ライン際を攻めれば世の中は面白がって見てくれるものです。

 ――就任1年目に具体的に進めたことは。

 いろいろなことをしましたが、大きく整理すると三つあります。一つは屋台骨の主力ブランドである「ジョンブル」の強みを200%出すことです。リブランディングをするのではなく、過去のいいところを現代風に再現しようというスタンスで作業を進めました。

 会社の倉庫にある商品をとことん見て、生産や販売の関係者と時間をかけて話しました。普通ならば1時間半で終わるようなことを、4~5時間かけて徹底的に話し合いました。過去の売れた商品のデータを見て、気になる点をいろいろと掘り下げました。具体化を含むやり取りの中では、納得がいかずにお互いの口調が思わず強くなってしまう場面もありましたね。

 二つ目は主力ブランドのあるべき姿を崩さずに、それ以外に表現したいことをサブチャンネル化して打ち出したことです。サブチャンネルなので、何かに特化させた形の提案になります。アップサイクルプロジェクトの「リベア・バイ・ジョンブル」、大量生産できないこだわりを詰め込んだ直営店限定の「Sシリーズ」などがこれに該当します。

 もう一つが人材を思い切って抜擢(ばってき)したことです。私が来たころは、複数の仕事を兼務し、スペシャリストとして本来の仕事に専念できていない人材もいました。直接話をして、本人がやりたいことを重視する形で、けっこうな人数の配置を変えましたが、その効果は出ていると判断しています。

 これら三つのことを実現するうえで、自分らしいやり方になりますが、あらゆる打ち合わせに参加をして議論をしました。メンバーと同じ目線で、ああでもない、こうでもないという風に納得いくまで話し合いをしました。

 ――2年目に入って会社はどう変わったか。

 この1年間で、物作りに関しては想定していた以上のことがっできる手応えのある状態になりました。

 ゼロからのクリエイションに関しても、社員のやる気がすごく高まり、活発な意見が出てくるようになりました。以前から物作りとやる気に長けている会社ですが、さらに磨きがかかりました。

 2年目にかけて課題もあります。生産を具現化するうえでキャパシティーがまだ理想に追いついていない状況です。児島に自社の縫製工場はありますが、国内で協力工場を増やし、物作りに関連するメーカーなども巻き込みながら、高い技術を持つパートナーを増やしていければ、と考えています。

アップサイクルプロジェクト「リベア・バイ・ジョンブル」の商品

面白く行動力ある会社にしたい

 ――前期(20年7月期)を振り返って。

 新型コロナウイルス感染拡大の影響で減収しましたが、営業利益は増益でした。黒字の要因には、強みとする商品で選択と集中ができたこと、生産リードタイムを短縮して効率が上がったこと、リベア・バイ・ジョンブルやSシリーズなどの新たな打ち出しが実ったことが挙げられます。

 選択と集中ではパンツを中心とした商品で、サイズやシルエット、素材などの提案に磨きをかけました。以前は企画がマーケットインし過ぎていた面もありましたが、自分たちが着たい物を作る感覚で、プロダクトアウトとマーケットインのすき間をうまく攻められるようにもなりました。

 生産リードタイムは3分の1に短縮しました。自社工場を中心に、物作りに関わる全ての部分を短くしました。期中の生産フォローもしましたが、同じ物の追加生産はせず、次のニーズを視野に入れた新企画の生産をしました。コロナの影響を受け、ファッションマスクの提案もすぐ実行しました。19年12月頃から製作しましたが、これについてはまさしく社員全員で一丸となって取り組みました。

 ――業界やマーケットは今後どう変わる。

 アパレルメーカーをはじめとしたアパレル関連企業、とくに規模の大きい企業の中ですでに淘汰(とうた)は始まっていますが、コロナ禍でさらに加速するでしょう。消費者は自分のライフスタイルに本当に必要かどうか、クオリティー重視で物を選ぶ時代になって来ています。多少偏っていたとしても消費者にとって面白い会社やブランドは伸びていくのではないでしょうか。当社もそれは意識しています。

 SNSだけでなく5Gの進化もあるように、今後消費者はファッションに触れる機会がさらに広がります。ファッションに対する感度は、アパレル業界の人たちが考えるレベルを超えていってしまうでしょう。そこに対応できるかどうかが大きな課題にもなるととらえています。

 ――就任時に3年後売上高40億円という目標を立てた。

 売上高はコロナの影響もあるため下方修正しています。コロナの状況を考慮しながら1年毎に計画を変えるつもりですが、今のところ当初目標には5年ぐらいかかるのではと考えています。ただ、粗利益に関しては計画を上回る手応えで、逆に上方修正をしている状況です。

 ――2年目となる今期(21年7月期)について。

 サステイナビリティー(持続可能性)についてあらゆる方面で事業化を進める予定です。リベア・バイ・ジョンブルでアップサイクルの提案をしていますが、需要がこれほどあるとは思いませんでした。現場からサブチャンネルとなる提案も色々と出て来たので、マーケティングリサーチも進めていきます。

 コロナで生まれたニーズに対応する形や今までにないセグメントによる試験的なショップもいろいろと出します。今年9月に表参道で二つのコンセプトを盛り込んだ旗艦店「ジョンブル」を開きましたが、今後も従来とは異なる店作りを進めます。

 今期中の実現になるかは分かりませんが、過去に売れていたブランドを現代風にアレンジして復活させる予定もあります。ほかにも、当社のデニムアイテムの物作りのスキルを生かす形で、他社との協業もしていきます。当社が繰り出すデニムアイテムに対してリスペクトしてくれるパートナーとすでに始まっている協業もありますが、さらに進化させていきたいです。

9月にオープンした旗艦店「ジョンブル」表参道

 ――今後ジョンブルをどんな会社にしたいか。

 個人の希望になりますが、まず何をやらかすのかわからないぐらい面白い会社にしたいですね。そして行動力のある会社。もうからないから、わからないから、とあきらめなければ、世の中のアパレル企業はもっと輝いていたはずです。不可能なことを可能にしてしまえるような行動力を実現したいです。もう一つは社員全員が毎日楽しくワクワクする会社です。これについてはすでに手応えを感じています。

 この三つが揃えば数字はおのずとついてくるでしょう。先に数字(目標)だけを立てて、それに合わせてあれこれとやるような会社にはしたくありません。私が昔いた会社で経験、成長したときは数字ありきの環境ではありませんでした。社員に同じような経験をして強くなって欲しいと思っています。

つかだ・ゆうすけ 1972年東京生まれ。95年に大学を卒業後、靴の卸業者に入社。96年にベイクルーズに入社し、ブランドの立ち上げやバイヤーなどを経て取締役に。16年にパルに入社してゼネラルマネージャーとして勤務。19年にジョンブルに代表取締役として入社。

■ジョンブル

 学生服・作業服のメーカーとして52年に創業。国産ジーンズ草創期となる60年代前半にジーンズの製造に着手し、67年に社名をジョンブルに変更。同年に工場を建設。卸主体だが、71年にジョンブルショップ広島店をオープンして小売も開始。03年に「ジョンブルプライベートラボ」大阪店を開き、小売の主力業態として大都市に出店を進める。19年7月期の売上高は30億円で、小売りが45%、卸40%、残りをECが占める。ジーンズだけでなくワークやミリタリー、ドレスも提案するほか、トータル提案や小売りにも早くから着手し、時代の変化に対応してきた。事業承継とともに次の段階へと成長するため、19年7月にキーストーン・パートナーズに株式を売却し、8月から塚田社長が就任して新体制になった。

《記者メモ》

 社長に就任して1年間、毎週東京から本社のある岡山に通って仕事をし続けたが、「物作りや人の成長も楽しめてまったく苦痛にはならなかった」と言う。休日も仕事に関連する服を見ているうちに、「洋服はもともと好きだが、ビンテージが趣味になった」と笑う。

 「1日1回はファッションにまつわる店を見ないと気がすまない」というほど服・ファッションは身近な存在。「『好きこそものの上手なれ』という言葉があるが、自分は好きのレベルがその一格上」と振り返る。

 「洋服は五感に響くカッコよさや可愛いがとにかく重要」。好きを掘り下げて、その空気感をうまく表現できれば、数字は後から付いてくるのだと自身の経験を話してくれた。

 「トライ&エラーを繰り返さないと会社はどんどん尻すぼみになってしまう」。社員となるべく同じ目線や口調で話すなど、何でも言い合える環境を目指したが、すでに驚くほど社内で提案は生まれている。これからどんな挑戦を見せてくれるのか楽しみになった。

(小畔能貴)

(繊研新聞本紙20年11月13日付)

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