縫製工場のダブルエックスデベロップメント(岐阜市、戸谷太一社長)は、ファクトリーブランドの生産・販売にかじを切った。過去にはOEM(相手先ブランドによる生産)を拡大し、年商が約1億円に達したこともあった。しかし、「こだわりの商品を自分たちの手で売りたい」と考え、19年にファクトリーブランドをスタートした。「ゆくゆくは自社ブランドを10まで増やしたい」と意気込む。
(森田雄也)
■丁寧な縫製、加工
自社ブランドは19年1月に始めた。ジーンズの「ノーコンプライジーンズ」と雑貨の「シュアーマニュファクチャリング」、レザーバッグの「ウィコアンドパルス」の三つだ。企画から生産、販売まで、全て戸谷さんが指揮を執る。
本社工場には戸谷さんを含め7人の縫製工員がいる。揃えるミシンは本縫い、特殊を含め約80台。工員はチームを組み、作った商品は本社2階のショップで販売するほか、セレクトショップに卸販売もしている。
ほかと差別化できる物作りにこだわる。例えば、ノーコンプライジーンズは岡山のデニムを使い、60年代調の太めテーパード、スリム、スーパースリムの三つのシルエットを揃える。丁寧な縫製、手洗いによるワンウォッシュ加工の無骨な仕上がりは「はくほどにアタリが出てなじんでくる」と好評だ。ジーンズ1万7600円、Gジャン2万5300円。
ウィコアンドパルスのトートバッグは、ヌメ革3色とキャンバス9色から選んでカスタマイズできる。ユニセックスで、幅広い世代に対応するデザインを重視している。3万6300円。
戸谷さんは岐阜生まれ。地元の高校のファッション学科を卒業後、テーラーの仕事に就くため、大阪に向かった。しかし、徒弟制度が性に合わず、BtoB(企業間取引)向けリフォーム企業に就職。ジーンズの裾上げ担当として、縫製現場に立った。
1年ほど勤めたころ、ぽつぽつと「オリジナルを作ってくれないか」という声が入り出した。ジーンズはずっと扱ってきたので「これならやれるかも」と、すぐに個人事業主として活動を始めた。22歳の時だ。
そのまま大阪でOEMのジーンズを作ったり、裾上げをしたり、舞い込む仕事は何でも受けた。仕事が増え、次第に自分では受けきれなくなり、外注先を探したが、なかなか見つからない。知り合いに相談したら、「岐阜出身だろ。岐阜は縫製産地だぞ」と言われた。「岐阜は何もないと思っていた」と戸谷さん。初めて故郷を「物作りの地」として意識した。05年に岐阜に戻り、OEM主体の縫製工場として活動を開始。ほどなくして法人化した。
■規模から質の追求へ
仕事は順調だった。口コミで評判が広がり、東京の有名ストリートブランドからも依頼がきた。年商は1億円近くなり、プレスや裁断を含め、外注先は30件近くまで増えた。絶好調だったが、落とし穴があった。取引先大手ジーンズメーカーの破綻だ。数百万円の痛手を負った。
そこから、規模を追求するのではなく良い物を作っていこうと考えるようになった。今もOEMを受けているが、取り組むブランドを絞り、外注先も減らした。その代わり、自社で一貫して物作りできる体制を整えた。一時は活用していた技能実習制度もやめ、日本人だけで運営する仕組みを構築。それを継続する中で行きついたのが、自社ブランドの立ち上げだった。
工場運営は楽ではない。自社ブランドはまだ知名度が低く、先行投資もかさむ。決算も厳しいが、今期(20年8月期)は売上高4000万~5000万円で黒字転換を目指す。
将来的には自社ブランドを10まで増やし、1ブランド年商3000万円で、トータル3億円の売り上げを目標とする。後継の育成にも力を入れて、「若手工員にブランドを引き継いでいきたい」考えだ。
(繊研新聞本紙20年5月13日付)