タキヒヨーの元社長で、名誉顧問の伊藤是介(いとう・ぜすけ)さんが2月25日、死去した。90歳だった。通夜・葬儀は近親者で行った。後日、タキヒヨーが「お別れの会」を開く。
1923年11月、岐阜県瑞浪市に生まれた。東海銀行(現三菱東京UFJ銀行)の常務営業本部長から、78年5月にタキヒヨー社長に就いた。ニクソンショック・オイルショック後の不況で悪化した業績を再建するため、滝富夫第7代社長から請われての就任だった。94年5月までの在任中に会社を立て直し、翌年の株式上場の礎を築き上げた。
メーン銀行の使命と威信にかけて再建
経済成長とともに事業の拡大を続けていたタキヒヨーは、米ニクソン大統領による新経済政策、金・ドル交換停止、さらにはオイルショックの直撃を受けた。売れ行き不振、大量の返品、本社ビルの建設借入金の負担、手を広げた関連事業の行き詰まりが一気にのしかかった。
メーン銀行の東海銀行(当時)は、タキヒヨーの蹉跌(さてつ)が尾州産地の存続にも関わるとして、常務で本店の営業本部長だった伊藤さんの派遣要請に応えた。後に東海銀行頭取になる西垣覚氏をも派遣スタッフに入れる力の入れようだった。320億円に及ぶ長短借入金や、多額の累損を抱えるタキヒヨーをなんとしても立て直すのが使命だった。
社長に就任した伊藤さんは不採算部門を整理する一方、収益をあげている分野に力を集中し、目標に向かって全社の力をまとめ上げていった。80年2月期には経常黒字を計上し、82年2月期に累損を一掃、再建を当初の見込みより4年早く完了した。社長の任を全うし、次の社長として滝茂夫現代表取締役会長に見事にたすきを渡した。