■経験価値がキーワードに…買うだけではよろこびの記憶が残らない
リテールの場で経験、あるいはエクスペリエンスがキーワードになっています。経験経済、経験価値ということばがマーケティングの世界で浮上したのは1999年のこと。経験価値をあつかった書籍の日本での出版数は2009年ごろにピークをむかえ、実際のリテールの現場ではエクスペリエンス消費時代が進行中です。
その場にいること、参加している実感がはっきりと持てなくなった消費者の心理を反映してのことでしょうか。西川産業の西川八一行さんが、以前エクスペリエンスについてとても興味深いコメントをされていました。
「エクスペリエンスとは商品や売り場でお客様に「新体験」や「新発見・再発見」の感動を味わっていただくこと。今まで自分が気づかなかったことを「知った時の喜び」を感じ取っていただくことです。これらは単に購買して所有するという価値を上回ります。(後略)」(繊研新聞2010年10月25日)
「喜び」という感覚を得るために、なぜキーワードとしてエクスペリエンスが必要になったのか考えさせられます。かつては新しいもの、欲しかったものを手にしたとき、あるいは、旅にでて、外のきれいな景色をながめたり、土地のひととおしゃべりしたりする、それだけで小さいけれどもころころとしたよろこびが自然とわき上がっていたはずです。
それがいつの間にか薄まり、輪郭のあるよろこびを得るためには新たにエクスペリエンスという価値要素を意識的に追加し、「これは思い出に残っているのだ」と自分に言い聞かせ、再確認しなければならなくなったのでしょうか。
■物語やコト消費だけでも不十分…リテーラーの苦悩は深まるばかり
トレンドをあつかう仕事柄、おすすめの店、ブランド、場所、食べ物などたずねられることがあります。最近のおすすめには、エリゼ セラミック (Elysées Ceramic) といって、パリの8区のワグラム通りにあるホテルがあります。一応三ツ星ですが、客室は13平米とごく小さなもので、しかもそれなりのお値段。それなのに、行きたい時期にはなかなか予約が取れないホテルです。
人気の秘密はファサードにほどこされたタイル装飾にあります。1904年にラヴィロット (Jules Lavirotte) によってデザインされたアールヌーボー様式で、文化財に指定されています。パリでアールヌーボーというと、地下鉄の入り口をデザインしたギマール(Hector Guimard) が思い浮かびますが、ラヴィロットもギマールと同時期に活躍した建築家。一度はあのホテルに泊まって文化財の雰囲気を味わってみたいという声を多くのひとから聞きました。
でも、セラミックホテルのような例は、物語性、あるいはコト消費といったキーワードで解釈すべきものでしょう。誰々によって設計された建物とか、文化財に指定された外観といった、名詞を修飾するリードがあると物語が構成されます。そこに泊まるとか、みんなで見に行くといった動詞が加わればコト消費になります。
一方、エクスペリンス消費と呼んでもよさそうな例があります。たとえば、新潟の十日町市にある「光の館」という宿泊施設です。タレル (James Turrell) という現代アーティストによる、とびきりおすすめしたい宿です。
建物全体が谷崎潤一郎の陰影礼賛にインスパイアされたというこの施設は、光と影の楽しみ方を体感させてくれます。メインルームは巨大な座敷、というとどこにでもある旅館の宴会部屋のように思われるかもしれませんが、この部屋には通常の宿にはありえないしかけがあります。
ボタンを押すと大部屋の天井の真ん中部分がゆっくり開いて、四角く切り取られた空が現れるのです。夕暮れ、空の色はオレンジからしだいに色を変えて、赤、赤紫、そして濃いブルーへ、気がつくと星の瞬きを眺めているといった具合です。もちろん、明け方も楽しめます。眠いながらも空がだんだんと白んでくるのを布団に入ったまま眺めることができます。
行ってからのお楽しみなので言えませんが、お風呂にも光をつかった仕掛けがあって、「わー」とか「えー」とか思わず声がでること間違いなし。これまで経験したことのない新鮮な感覚が得られます。
ここには身体感覚に訴える、経験価値と呼べる要素が詰まっているのです。エクスペリエンス消費という視点では、その行動の結果、よろこびや驚きが実感としてあったかという、心理的な成果の価値に着目することになります。ありきたりのよろこびや驚きではエクスペリンスとして十分ではないのです。
西川さんの言うように、これまでの経験を塗り替えるような強い印象をもたらす消費提案をしなければならない。リテーラーの苦悩は深まるばかりです。
■感覚にフィルターがかかっている模様…うすらぐ実感がデザインリソースに
わたしたちはなぜそこまで強力な刺激の経験を必要とするのでしょうか。その背景には、個人が置き去りにされる社会システムをはじめ、いくつもの理由があるかと思います。
ひとつ言えるのは、デジタルツールの日常化です。とくにデジタルネイティブはIT機器によって膨大な情報を連続的に浴びてきました。過度な反応をしないよう、感覚にフィルターをかけたような状態が身に付いたのでしょうか。その結果、実世界に対峙するときも、バーチャルな空間に向き合うときと同じように、感覚を遠ざけるくせがついてしまっていても不思議はありません。
この傾向は程度の差はあれ、デジタルネイティブではない世代にもみられます。彼らもまた実世界の存在に対して感覚が鈍くなっているといわれています。この傾向は日本だけのことではないようです。最近のクリエイターのデザイン傾向をみると、脱色したような色、フィルターをかけたような、あるいは滲んだようなグラフィックなどを積極的に用いています。2015年春夏のデザインディレクションにも反映されています。
■手がかりは生身の感覚…実世界を取り戻そうとする動き
だからこそかもしれませんが、生身の感覚を取り戻そうとする志向性も同時にみられます。ある画廊で、ドットをつかった作品で有名な草間彌生展を観ていたときのことです。画廊のひとに「どれが好きですか」と声をかけられました。
スムーズなシルクスクリーンの画面が並んでいましたが、その中に、額縁の内側が不規則にコラージュされた作品がありました。なんとなくそれを指すと、「わたしもこれが好きです。これは間違いなく草間さんが自分でつくったものです」と説明してくれました。
画廊の人は、その作品には他にない確かな存在感があるというのです。いったいなにが彼にそういわせるのでしょう。説明によれば、「存在感」はコラージュの不規則なところからくるのだそうです。そして、この不規則性こそがアーティストの生身の感覚の証だといいます。
そういえば、生演奏の音楽やクラフトの人気が再燃しています。これもまた、スムーズではない不規則性が魅力になっているのかもしれません。
■体験型でミュージアム業界はある程度成功…でも消費の理由はリセット?!
不思議といってはなんですが、消費者がこうした生身の体験あるいは実感を生む経験を求めているという事実に比較的早い段階で気づいていたのはミュージアム業界です。ミュージアムは長年入館者数の減少に頭を悩ませてきましたが、その中で参加体験型を企画している施設は集客をのばしていました。
その代表的な例が科学博物館です。2000年頃のことだと思います。こうした体験型展示は、内部から賛否両論ありつつも、その後博物館だけでなく美術館にも導入され、一定の成果がありました。しかし、これはあくまでも一定の成果であって、完全なエクスペリエンス消費には実はなっていないことが次のアンケートから推測できます。
ミュージアム全体ではなく美術館に限った調査になりますが、2007年に森ビルが東京、NY、ロンドン、パリ、上海における「アート意識」をリサーチしたところ、美術館に行く理由としてNY、ロンドン、パリ、上海では刺激やアイディアをもとめてアートに触れにいくという回答でした。
それに対して、東京でもっとも多い回答は気分転換のためというもの。要するに、リセットのための手段ということのようです。これは、他の都市の動機と比べてあまりにも消極的な消費傾向に思えてなりません。
■記憶をくっきり残すにはさらなる仕掛けが必要なのか
このアート消費の状況から考えると、買物もまた気分をゼロにリセットするため、という可能性がうかびます。ミュージアム業界もリテール業界も気分をリセットする以上のことがなかなか達成できず、世界各地で消費の活性化を願うひとびとが経験価値、エクスペリエンスという用語に着目する状況が進行しています。
実感がさらに記憶として残るようなエクスペリエンス消費を実現するためには、どうすればいいのか。さらなる工夫を模索する動きがありますので、次回ご紹介します。
短期的なトレンドにすこし距離をおきながら、社会の関心がどこに向かっているのか考えてみるブログです。 あさぬま・こゆう クリエイティブ業界のトレンド予測情報を提供するWGSN Limited (本社英国ロンドン) 日本支局に在籍し、日本国内の契約企業に消費者動向を発信。社会デザイン学会、モード?ファッション研究会所属。消費論、欲望論などを研究する。