こころを揺さぶるあの手この手(浅沼小優)

2014/06/27 16:18 更新


■恋の吊り橋理論ってご存知ですか?

カナダのバンクーバーに歩行者専用としては世界で一番長い吊り橋があります。キャピラノ渓谷を臨む70メートルの高さにかけられた長さ137メートルの橋。ちょうど40年前に、この橋の上で、2人の心理学者ダットンとアロンが不思議な実験を行い、後に恋の吊り橋理論として世界的に有名になる仮説を生みだしました。

どんな実験だったのでしょうか。ダットンとアロンは、まず、この峡谷にかかる二つの橋、すなわちひとつは足がすくむようなこの不安定な橋、もうひとつは川のすぐ上にかかる別のしっかりとした橋の2カ所を選んで、「景観の魅力」に関するインタビュー調査を実施するという趣旨のものです。

インタビューの対象者は18歳から35歳までの男性、すべて男性です。対してインタビュアーは女性と男性の両方を用意します。ここで注目して欲しいのは、ダットンとアロンが調べたかったのは「景観の魅力」に関する回答の内容ではなく、対象男性たちの反応スコアのほうだったという点です。

すなわち、インタビュアーが女性の場合と男性の場合とで、また揺れる橋としっかりとした橋の場合とで、呼びかけに応じた人の数や調査結果を知るための電話番号を受け取った人の数、じっさいに問い合わせの電話をかけてきた数がどれだけ異なるか、さらには回答に性的イメージを想起させる要素がどれだけ含まれているかなどを数値化してみせたのです。

これは最初から想定内だったのではないかと思いますが、もちろん、女性インタビュアーの方が回答回収率も高く、また電話番号を受理してもらう率も高かったそうです。さて、実験として興味深いのはここからです。

同一の女性インタビュアーによる依頼なのに、橋のタイプによって、後日女性に電話してくる率が違ったというのです。揺れない橋の場合、連絡してきた人の割合は12.5%、揺れる橋では50%の人が電話をかけてきました。そればかりか、揺れる橋の被験者の方では女性インタビュアーをデートに誘う率が高かったとのこと。どうしてこんな違いがでたのでしょうか。

調査ではこう結論づけられました。揺れる橋を渡ることによる生理的興奮が女性を魅力的だと感じさせること、また、興奮状態が積極的にリスクを取ろうとする気持ちにさせる可能性がある、と指摘しています。被験者が男性だけだという点に留意すべきではありますが、魅力を感じた対象を前にしたとき私たちがどういう条件がそろえばアクションを起こすのか、ということを考える上で見逃せない結果です。

 ■軽い興奮をもたらすダークエクスペリエンス

エクスペリエンス消費というと、楽しさや心地よさをもたらす経験を思い浮かべがちです。しかし、吊り橋実験で示されたように、不安定さに由来する軽い興奮がリスクテイクにあたって私たちを積極的にさせるという事実を応用したアプローチ、いいかえれば心理的負荷をかけることによって私たちの行動を活性化させることをねらった手法が、最近、随所で見られるようになりました。

吊り橋実験のように軽い興奮状態をひきおこす…感情を揺さぶる、と言い換えてもいいかと思いますが、しかし、この手法を推し進めていくと、わざと不快感を覚えさせたり、恐怖感を煽ったりするようなヴィジュアルを提示する戦略にまで行き着きます。

たとえば2006年春夏のジミー・チュウの広告がそれです。女性を車のトランクに入れたり、まるで誘拐を連想させるようなヴィジュアルが用いられていました。また、2008年秋冬のダンカン・クインのキャンペーンでは、スーツを着た男性が女性の首を抑えつけるといった、思わず眉間にシワがよりそうなシチュエーションまで使われていました。

こうした、一瞬恐怖を覚えさせるような映像などによって消費者からダイレクトな反応を引き出す手法をダークマーケティングとも呼びますが、ダークマーケティングはここ何年かのキャンペーントレンドとなっています。

シーズン全体をとおしてゴシックな雰囲気、ヴァンパイアモチーフが登場したのが、2009年秋冬。2011年秋冬になるとヴェルサーチ、アレキサンダー・ワン、ミハラヤスヒロが不穏な空気を漂わせたダークな色味のヴィジュアルを次々とリリース。心にざわつきを覚えさせるような嵐を連想させるシーンが多かったのもこのシーズンでした。

不快感や恐怖、不安などに加えて、2014年春夏には不可解というキーワードが登場して、心理的負荷を活用したマーケティング傾向がさらに追求されたようです。たとえばマーク・ジェイコブス。

うつろな表情で砂地に座る、あるいは横たわる女性たちの姿に、いったい何が起こったのだろうかと不安と興味をかきたてられます。極めつけは2014年春夏のアレキサンダー・マックイーンかもしれません。プロモーション用のショートフィルムにはまるでホラー映画を思わせる雰囲気がありました。

 

 

こころに負荷をかけることで私たちの深層心理に働きかけ、欲望を刺激する。これもひとつのエクスペリエンスによるマーケティングといってよいでしょう。言ってみれば負のエクスペリエンス手法です。

■違和感というエクスペリエンス

じつは、こころに負荷をかけるプロダクトはすでにいろいろ知られています。デザインディテールとしてはもはや定番なので驚くひとは皆無ですが、デニムのダメージ加工などはその典型です。新品の生地をわざと破り、退色させ、擦り切らせたボロボロのプロダクトに、当初はなにこれ、と違和感を感じた人も多かったはずです。こうした違和感の活用もまた負のエクスペリエンス手法といえます。

負のエクスペリエンス手法といっても、違和感の活用などはソフトバージョン、もっとダイレクトに不快な感情を呼び起こすモチーフをデザインに取り込む発想もさかんです。以前、細菌やバクテリアなどがファッションのインスピレーション源になっている状況をご紹介しましたが、カビの模様をプリントしたポロシャツや、べったりと汚れたように見えるプリントをほどこしたパンツやビーチサンダルは、その負の要素によって「なにこれ…」とつぶやかせてしまうのです(記事はこちら)。

 ■ショッキング•エクスペリエンスx動画サイトの成功例

負のエクスペリエンスには驚きの要素をつかったアプローチもあります。LAベースのブランド、レン(Wren) は、映像がもたらすちょっとした衝撃をてこに、自社サイトのPVを増やし売上をのばしたそうです。ご存知の方も多いと思いますが、ファーストキスという動画がそれです。

役者でもない、初対面の人同士にキスしてもらうというなかなかショッキングな内容です。YouTubeリリースから最初の3日間で2300万のビューがあり、いまではそのアクセスは8000万回を越えています。レンの公式サイトへのアクセスは映像公開前の週の14,000% になり、売上は13,600% という驚異的な数字に上りました。

 

 

余談ですが、今回のテーマで扱っている負のエクスペリエンス、つまり不安や不穏なムードを感じさせる、あるいは不快だったり不可解なシチュエーションを提示する、はたまたショッキングな映像をのせる、といった負のエクスペリエンスの活用を容易にしたのが、動画サイトの登場だと思われます。調査会社のeマーケターによると、2013年にアメリカの成人によるデジタル視聴時間(5時間16分/日)がはじめてテレビの視聴時間(4時間31分)を上回ったそうです。

ところで、動画など新しい視覚メディアの登場は、負のエクスペリエンスの活用にあたって決定的なインパクトを与えたはずですが、負のエクスペリエンスの手法は五感のすべてを開拓する方向へ広がっています。

最近は、これまでマーケットツールとしてなかなか使えなかった嗅覚でさえも活用されつつあるのです。前回、エクスペリエンス消費の先駆者はミュージアムというお話をしましたが、そのミュージアムが最近注目しているのがまさしく嗅覚の機能なのです。

東京都現代美術館では今年の1月にかけて、「うさぎスマッシュ展—世界に触れる方法(デザイン)」という企画を行いましたが、その中でシセル・トラースが匂いと記憶についてのプロジェクトを展開しました。

匂いといっても、トラースが取り上げたのは、私たちが通常考える単純ないい匂いではなく、恐怖の匂い、都市の匂い、戦争の匂いといった負の面に訴える匂いだったのです。しかも、匂いは私たちの感覚の深部に、いいかえれば深層のエクスペリエンスに作用するのですから、そのインパクトたるや相当なものだと思われます。

 ■あやうい状況

私たちの日常感覚を逆手にとって、違和感や不快感、恐怖、驚きの対象を、美や魅力の源泉に変えてしまう。多少のリスクはむしろ商品の価値を高めてしまう。こうした、負のエクスペリエンスに訴えるマーケット手法はいまや、どこでも引っ張りだこですが、このことは、見方を換えれば、私たちの消費社会がそれほどまでに追い詰められている、ということかもしれません。

とにもかくにも、私たちはいま、単純な心地よさの領域をこえた新しい欲望のスイッチを探りあてようと鋭意進行中であることはたしかです。




短期的なトレンドにすこし距離をおきながら、社会の関心がどこに向かっているのか考えてみるブログです。 あさぬま・こゆう クリエイティブ業界のトレンド予測情報を提供するWGSN Limited (本社英国ロンドン) 日本支局に在籍し、日本国内の契約企業に消費者動向を発信。社会デザイン学会、モード?ファッション研究会所属。消費論、欲望論などを研究する。



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