隠蔽率95%
スギ花粉シーズン真っ最中の3月下旬のことでした。地下鉄の車内、向かいに座るひとりの女性の姿にふと目がとまりました。20代ぐらいでしょうか。前髪を左側に流すような髪型にマスク…何の変哲もない見慣れた光景?でも、次の瞬間に、自分の目が彼女の上にとまった理由に気づきました。
彼女の顔面のうち肌が見えていたのは右目付近だけ、露出率でいえば顔全体の5%にも満たないのではないか。これでは表情はおろか目鼻立ちさえ確認できないでしょう。え、そこまで隠すの、と軽い驚きでした。
でも、驚くのは早計でした。というのも、目の前の座席全体を見渡すと、二度びっくり。7人中6人がマスクを着け、みなうつむき加減でスマホを操作中。そのため顔前面に長い前髪が垂れ下がり、顔面がまったく見えない状態なのでした。おまけにメガネのせいで露出面積がさらに減少しているひとも。
こんなふうに顔の8から9割もが覆われたさまはほとんど目出し帽をかぶったようにも見え、しかもそんなひとたちが整然と並んでスマホを操作しているなんて…これを壮観というべきか、異様と見るべきか。
日本独自のサイバーな風景?
花粉の時期にはよく見られる光景なので、いまさら驚くこともないのでは、とも思うのですが、それは私が日本人だからかもしれません。日本を訪れる外国人の目から見るとどうなのでしょうか。
たしか、2008-9年ぐらいのことだったと思いますが、知り合いの外国人から、それも複数の人から、日本人はなんでこんなにみんなマスクをしているの、とマスク人口の多さを指摘されたことを思い出します。
日本以外でも工業的に発展中のアジアのいくつかの都市では空気汚染が激しく、屋外でのマスク着用が急増しているとの話はよく聞きますが、日本の大都市でしかもゴミもほとんどないようなクリーンな地下鉄やオフィスの中で、多くの男女が一様にマスクを着けて動いている姿は、日本独特の光景と映ったようです。
何人かには、この国ではパンデミックがまさに勃発しているのかと怯えられたりもしました。インフルエンザや風邪、花粉症などの疾病対策やその予防のためだと説明してもなかなか納得してもらえず、そこになにか日本独特のサイバーな、あるいはクールジャパン的な光景を見たように思い込み、そのうち面白がって、職場にいるマスクの女性たちを並ばせて写真をとる始末。
それでも、彼ら外国人に対して、どうしてこれだけのひとたちが日常的にマスクをするのかについて、自分でも納得のいく説明ができなかったことをいま思い出しています。
7割は「ライトユーザ」
日本のメディアが、こうした予防と称してマスクをかける、いわゆる「伊達マスク」現象について取り上げはじめたのは、おそらく2010年ごろ。当時、私のように納得できないひとがたくさんいたのでしょう。テレビ番組や雑誌が伊達マスクの不思議について次々に特集を組んでいます。
週刊ダイヤモンド 2011年12月27日のウェブ版では、ユニチャームへの取材をもとに最新マスク情報を特集していました。「伊達マスク」の「伊達」たる理由が数字で分かります。
同記事によれば、マスクの形状には大きく分けると2種類あり、そのひとつがマスク面のひだ状になったプリーツ型、もうひとつが隙間のできにくく装着感のよい立体型。
人気度の割合でいえば、プリーツ型が約70%、立体型は20%程度とのこと。疾病対策用の機能としては立体型が勝るのだが、シェアを拡大しているのは装着時の見た目がいいプリーツ型なのでした。マスクも見た目が大事ということのようです。
いまや、伊達マスクという言葉はWikipediaに項目が立つほどに一般化し、使用者は「ライトユーザ」とも呼ばれています。
マスクに関する各メディアの記事を読むと、「マスクで隠せば安心」という心理がうかがえます。気持ちをひとに悟られたりしないし、ノーメイクの素顔を覆うこともできます。小顔に見せたり、フェイスラインをすっきりさせるといった効果さえある。
ちなみに、この現象については、消費増税後の昨年(2014年)5月、辛酸なめ子さんが読売新聞連載の中で「増税時代の必須アイテム」と皮肉っていました。マスクがあれば、メイクも日焼け止めもいらず節約になるというわけです。
以上、見てきただけでも、マスクが素面をださないためのアイテムとして機能していることは明らかです。隠蔽率、といっていいのかわかりませんが、こうした顔隠しの現象は、年々エスカレートしているようにすら思えます。
でも、なぜそこまで隠すのでしょうか。
マスク大国は前髪大国
ところで、マスク着用だけが顔隠し現象を担っているわけではありません。前髪が重要です。冒頭のエピソードでも話題にしましたが、前髪は、マスクと一体となって目出し帽状態を作り出しています。
日本では、女性に対する褒め言葉として「かわいい」が愛用され、誰もが、それこそ老いも若きも、かわいく見られたいという願いが強烈ですが、この「かわいい」の演出に前髪を上手につかった髪型がよく使われます。
じつは、前髪と顔隠しの関係については、すでにちゃんとした研究があります。生前、顔学会副会長でもあった村澤博人さんが『顔の文化誌』(東京書籍1992, 講談社2007)の中で、前髪について言及しています。
「かつて日本の社会では少女期は前髪をたらして額を隠していたが、成人するときに「髪上げ」と称して顔を出して大人の髪にするのが当たり前であった」と述べ、加えて今日でも額をださないことがかわいらしさにつながっていると指摘しています。
現代社会ではこの髪上げの儀式的プロセスはなくなりました。でも、いつまでもかわいくあらねば、と願わせるような社会が前髪信仰のような心理を育てている気がしてなりません。
しかし、この前髪人気は、マスク同様に日本独特のものなのでしょうか。もうすこし調べてみる必要があるかもしれません。各都市のストリートを観測できればベストなのですが、まずは状況の一端を確認したいと思い、グーグルで画像検索をしてみました。
“hairstyles for women” という語句の前に国名(日本であればJapanese)を入れるとその国と紐づけられた髪型がでてきます。そこで、アジアでは日本、韓国、中国、西欧諸国からは、英国、米国、ドイツ、イタリア、フランスの計8カ国について調べました。
重複画像を除き、前髪で額の半分以上を隠している髪型と額を出している髪型を合わせて100人になるまでカウントしてその割合をみるという簡易的方法ですが、結果は次のようになりました。
アジアは前髪優勢、日本がトップ
アジア3カ国ではそろって前髪ありの髪型が優勢でした。日本はその中でももっともスコアが高く、中国ではほぼ半々に近い状況。
西欧諸国では反対に前髪なしが優勢です。とはいえ米国やイタリアでは「あり」と「なし」が拮抗しています。ドイツとフランスの前髪率はとても低位にありほぼ韓国と反転している比率でした。
日本が前髪ありの髪型を好む傾向については、先述の村澤さんがすでに調査していました。 1987年のことです。新宿紀伊国屋書店の前の信号を渡るひとを写真観察法で調べたところ、女性で額をはっきりだしているひとは11%(ちなみに男性は20%)であったと記しています。
興味深いのは、今回の簡易検索の数字がこの30年近く前の結果ときわめて近いという点です。おそらく本格的な調査を行ってもこの前髪状況に有意差はあまり現れてこないのではないでしょうか。
『顔の文化誌』では、顔隠しが日本の文化的特徴のひとつとして続いてきた事実が歴史的な背景とともに詳細に述べられています。
若さへのこだわりは日本だけではなく世界的な傾向ですが、日本の場合は伝統的な顔隠しの文化の上に、若さ(未成年)の記号でもあり顔隠しのツールでもある前髪に対するこだわりがあること、おそらくこうした事情が重なって、マスクによる顔隠しがそれほどの抵抗感もなく、またこれほど一般に広まってしまったのではないでしょうか。
日本の顔隠し現象にまつわる問題とは
そう考えると、日本の顔隠しの状況は、伝統文化と現代文明からのサンドイッチ的圧力によってなおいっそうエスカレートしていくのかもしれません。単純にマスク市場の発展を喜んでいていい場合ではないような気がしてきます。
というのも、冒頭の前髪数値を合計特殊出生率や個人主義的傾向の強弱、女性役員比率など、いくつかの指標とクロスしてみたところ、気になる点がでてきたからです。
最初に取り上げたいのは、ジェンダー平等の指標のひとつとしてしばしば援用される女性役員比率です。
下の表を見てください。前髪ありを好む日本と韓国の女性役員比率が他国に比べてとても低く、ある程度の相関関係が見て取れます。また、個人主義スコアが高い西欧各国で前髪なし比率が優勢であり、ここにも関連性がうかがえます。
今後、詳しく調べる必要がありますが、少なくともそれぞれの社会で女性が置かれている立場や個のとらえ方が、その国々で好ましいとされるヘアスタイルになんらかの影響を与えているのでは、という予感がします。
適度な自己隠蔽を通り越すマスク問題
私たちはマスクや前髪で積極的に、つまり自ら進んで顔を覆っているようにみえても、実は顔がうばわれている状況にあるのかもしれません。20世紀初頭、女性の身体はコルセットから解放されましたが、その後もインビジブルコルセット状態が続いています。
私たちはコルセットの時代と同じように、社会からの要請やそれに呼応してできあがった身体イメージになんとか自らの生身の身体を合致させようと、日々、ダイエットや各種エクササイズーいずれも非物理的コルセットの典型ですーに励んだりしています。
ファッションはそもそも自己表現なのかという初歩的な疑問にぶつかります。ここで言えることは、私たちの自己表現というもの自体が、どれだけうまく、どれだけ適度に素の顔、素の身体を隠すか、つまりじょうずな自己隠蔽、インビジブルコルセットへの適合を行っているか、を目指しているのでないかということです。
化粧品のブームはかなり長期にわたって「」付きのナチュラル志向。ここ3、4年の流行語だった「すっぴんメイク」もそのひとつです。いかにも隠していないかのように、なにもしていないかのように美しく整えるか(つまり素を隠すか)が大きな関心事になっていました。
じつは、ナチュラル志向は化粧品だけのことではありません。服についても、SNSにおける発言についても同じです。
ここでまた、最初のマスクのライトユーザの話に戻ります。彼女ら、あるいは彼らは、どんな人たちなのでしょうか。上で挙げた、ナチュラル志向の動きについていくことにも疑問を感じ、インビジブルコルセットも放棄し、ひたすら隠すことに決めた人たちなのでしょうか。
次回は、こうした日本特有と思われるマスク文化とは明らかに異なる文脈で発生し、しかも2010年以降グローバルに広がるファッションアイテムとしてのマスクトレンドを取り上げ、日本特有の顔隠し文化と、どこが重なりどこがどう違うのかということについて考えてみたいと思います。
短期的なトレンドにすこし距離をおきながら、社会の関心がどこに向かっているのか考えてみるブログです。 あさぬま・こゆう クリエイティブ業界のトレンド予測情報を提供するWGSN Limited (本社英国ロンドン) 日本支局に在籍し、日本国内の契約企業に消費者動向を発信。社会デザイン学会、モード?ファッション研究会所属。消費論、欲望論などを研究する。