《めてみみ》工女の誇り

2022/04/06 06:24 更新


 近代繊維産業の先駆けとなった群馬県の富岡製糸場は、ちょうど150年前に開業した。官営の模範工場にするべく、明治の新政府は人・物・金を惜しみなく注ぎ込む。初代場長の尾高惇忠は、渋沢栄一の従兄・義兄。昨年のNHK大河ドラマでもその活躍が紹介された。

 国家の威信を賭けた事業である。一般従業員も武士の娘が数多く集められ、明治維新を主導した山口県(長州藩)からも30人近い女性が集められた。山口からは軍艦に乗せて出発するほどの力の入れようだったという。女性が就ける仕事が少ない時代。「工女」と呼ばれた彼女たちは、誇りを持って新たな舞台に赴いたことだろう。富岡で学んだ工女は全国各地で製糸業の発展に貢献する。

 その後の紡績へと繊維産業が発展した半面、大量生産と効率化、コスト削減が叫ばれていく。劣悪な環境での長時間勤務も生まれ、映画にもなった『あゝ野麦峠』に代表される悲劇も生んだ。この頃から工女の呼称はいつしか「女工」に変わっていった。

 プラザ合意後、縮小の一途をたどってきた国内繊維産業だが、ここにきて海外生産の混乱や円安、地域産業の再評価などを背景に、見直し機運が出てきた。コストや効率だけでなく、誇りを持った〝工女〟として、生き生きと働ける職場をどう作っていくかも大きなポイントだ。



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