《東日本大震災から4年》被災地発ブランドへの支持広がる
東日本大震災から4年。「震災」「被災地」という言葉を日常的に聞くことはめっきり減った。しかし、震災を機に豊かさの基準を見直す人も多く、消費動向に大きな変化が起き始めた。被災地の復興は途上だが、地元のものづくりを背景にした新しいビジネスが育ちつつある。それは雇用の創出、維持にもつながる。ファッションやライフスタイルの分野では、地方の生活や文化に根差したローカルブランドへの支持が広がっている。
100年後に向けて
「過剰なものを取り払い、100年着られる服」――「アーティジャングル」は福島県南相馬市から発信するレディスブランドだ。デザイナーの宮森佑治は震災を機に服作りへ向かう意識が大きく変化した。「震災後に地元商店街の人たちと立ち上げたボランティア活動を通じて、〝100年後に向けた街づくり〟を地域の仲間と語り合った。そこで自分にできることは服作りだと強く意識するようになった」と言う。
ダーツやタックのテクニックで絞りを入れた美しいシルエットは、近隣の縫製現場との密な話し込みを経て作り上げられる。昨年9月に伊ミラノプレタポルテ展に出展、「日本の伝統的なきものをイメージできるユニークなデザイン」と評価され手応えを得た。
「周辺には国産の高度な物作りを支える縫製工場が多くある。この条件を生かした南相馬発ブランドの先駆者になることが当面の目標。将来的には、この南相馬にデザイナーの起業を支援するファッションビレッジを作りたい」と胸を張った。宮森は先月、自身にとって第1子となる長男をもうけた。永続的な街づくりへの使命感がより一層強くなった。
世界市場を意識
宮城県石巻市の「石巻工房」は、東京を拠点とする建築家、芦沢啓治氏が中心となって立ち上げたプロジェクトに端を発する。14年3月に法人化した。現在、4人の作り手を抱え、デザインは15人の外部の協力デザイナーが提供している。素朴さとデザイン性のさじ加減が絶妙な家具のほか、オリジナルの布製バッグも販売。バッグの生産は、同県南三陸町にある南三陸ミシン工房に依頼している。
スタート時から世界市場を意識し、海外の展示会にも出展。「日本市場だけでは生き残っていけない」との危機感に加え、「震災という枠を取っ払って、きちんとした土俵で戦ってみたい」(プロジェクトコーディネーターの武田恵佳さん)という気持ちが強い。
石巻工房は、コンセプトとして「世界初のDIYメーカー」を掲げる。背景にあるのは、東日本大震災での経験だ。震災後、復興が早かったのは「自ら作り、直すことができる人々」だった。「DIY」はブランドの強いアイデンティティーにもなっている。
地元の雇用守る
震災を機に、多くの地元企業が事業の再考を迫られた。宮城県南三陸町のアストロ・テックもそんな1社だ。震災前は医療関係の電子部品を作っていたが、工場が被災。被災地を支援する一般社団法人ルームニッポンの加賀美由加里代表を通して、同社の佐藤秋夫社長が東京のベルト・バッグメーカー、ヤマニと出合ったことから、バッグの生産を手掛けることになった。
佐藤社長の頭にあったのは、地元の雇用問題だ。「新しい事業を始めれば、雇用が生まれると思った」と振り返る。
ヤマニのOEM(相手先ブランドによる生産)でポーチなど簡単な物から生産を開始。3年計画でバッグの一貫生産を目標に掲げていたが、前倒しの1年半で達成した。生き残りのためには「時間がかかっても、手間ひまかけてクオリティーの高い物を作って、お客を喜ばせるしかない」と考える。ポーチなども含めたバッグの月産数量は2000~3000個。
バッグの生産が加わったことで、売り上げは震災前の倍になったが、今でも売り上げの約4割は電子部品が占める。社員は17人で人員増も計画。現在、オリジナルブランド「アストロ」も販売。この4年は機械や人への投資を重視してきたが、「今年は商品開発にも力を入れたい」としている。
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日本社会の問題が凝縮した被災地で鍛え上げられた事業は、他の地域はもちろん、世界で勝負できる可能性を秘めている。
(北川民夫、佐々木遥、大竹清臣)