23年は卯(う)年。干支(えと)ひと回りといえば世代の違いを表す一つの指標ですが、ファッションビジネス業界の環境も大きく変化しています。この業界に働く様々な世代の皆さんに、前回の卯年を振り返っていただき、さらに飛躍したい新しい卯年の意気込みを聞きました。
セクシーからヘルシーに
バロックジャパンリミテッド「リエンダ」企画グループ長 加美祥子さん
女性らしさにエッジを利かせたスタイルを提案する「リエンダ」。06年にスタートして以来、時代に合わせてアップデートしながら、大人っぽく色気のある女性像がいつの時代も愛されてきた。加美さんはちょうど一回り前の卯年に入社し、企画職に就いた。
当時ヒットしたアイテムで印象的なのはパギンスです。国内外のファッションブロガーを参考に、花柄やレパード、レースにデニムライクなど、とにかくいろいろ作っていました。あとはミニドレスとニーハイブーツ。ミニドレスはあまりの丈の短さに「これはスカートですか?」と聞かれることもありました(笑)。後者の二つのアイテムは12年経った今、再び売れ始めています。トレンドが一周したことを実感しています。
現在のオフィシャルスタッフの先駆けとなった「リエンダガールズ」も全盛の時期でした。前任の中根麗子と販促や販売スタッフらで構成し、会いに行ける憧れの存在として活躍していました。社内でいち早くインスタグラムでの発信を精力的に行っていたのもリエンダです。
今はかなり露出も減りヘルシーになりましたが、〝ザ・女子〟という根幹は変わりません。強みのボディーラインがきれいに見えるドレスを軸に、変わりゆく生活スタイルに合わせて選ばれる服作りをしていきたいです。
国産ジーンズを誠実に売る
ヒノヤ本店店長 木下一成さん
ヒノヤは業界人にもよく知られる東京・上野の老舗アメカジショップ。主力はジーンズで、こだわりの国産ブランドを多くセレクトするほか、自社オリジナルの「バーガスプラス」も販売する。アメヤ横丁にある本店のベテラン店長、木下さんが当時と今を比べてくれた。
11年はインバウンド(訪日外国人)需要が本格化し始めたころと記憶しています。当時は欧米からのお客さんが多かったです。東南アジア経済の躍進と、同地域でのジャパンデニムブームが合わさり、フィリピンなどからのお客さんも少しずつ増え始めた過渡期の時代でした。
ネームバリューのあるジーンズブランドから、細かいところにこだわって作り込んでいる、岡山を拠点にした通好みなブランドへと、売れ筋が変わってきた時期でもあります。日本のジーンズが本格的に世界へ羽ばたき始めたのがこのころです。
バーガスプラスが軌道に乗り始めたと実感し始めたのも覚えています。ヒノヤにとっても成長の時期でした。
12年前と今を比べて思うのは、SNSなどの発展で情報の広がる速度が全く違うということ。手間暇かけて作られた国産ジーンズの魅力と、職人の思いをもっと世界へ発信するチャンスです。そのために、私たちは良いものを良いサービスで誠実に売っていく。そうやって飛躍していきたいですね。
震災乗り越え縫製技術を守る
岩手モリヤ社長 森奥信孝さん
婦人服主力の岩手モリヤ(岩手県久慈市)は、日本製らしい高い技術が強みの縫製工場だ。12年前は東日本大震災で大きな被害を受けた。しかし、森奥社長はそれを糧にした事業運営を続け、常に前を向く。
震災のことは生涯忘れられません。地震発生直後に社員を高台へ避難させ、工場を点検していると強い余震。急いで敷地内の2階建て倉庫へ避難する途中、津波が押し寄せてきました。
工場内の浸水は免れましたが、裏の倉庫は浸水して、インフラも止まり、1週間は避難所で過ごしました。幸い、社員の家族も全員無事でしたが、消費の低迷から決まっていた仕事が減り、苦しかったです。雇用調整助成金などでしのぎました。
震災の経験から始めた節電が経費削減の動きへとつながりました。削減分として、少ないながらも賞与も出したかったんです。結果、3年後には震災前比で、年間の電気使用量が61%減、425万円の経費削減になりました。震災があったからこその成果です。
飛躍させたいことは、強みである技術力のさらなる向上。最近は高付加価値の商品を求める新規の取引先が増えています。腕の見せどころです。しかし、縫製工場は人手が減っています。雇用条件、人材育成の体制を整え、職人が誇りを持って働ける場を、取引先と協力して作っていかなければなりません。
「風の時代」に融合の効果を
MNインターファッションレディス衣料第六部部長 堤央征さん
繊維商社のMNインターファッションは22年、三井物産アイ・ファッションと日鉄物産繊維事業が統合して誕生した。日鉄物産も複数企業によって設立された。時代が変わる中、堤さんは一貫して繊維を扱ってきた。
私は11年当時、住金物産レディス衣料第一部で百貨店アパレル向けを主力に、アウターや布帛の中軽衣料を中心に扱っていました。東日本大震災の後、為替は10月に1ドル=75円台と戦後最高値をつけました。22年10月の150円台と比較すると大きく円安が進み、商社のOEM・ODM(相手先ブランドによる設計・生産)を取り巻く事業環境は様変わりしています。
一方で、12年前と同様に現在もアジア、ASEAN(東南アジア諸国連合)への生産シフトが起きています。11年ごろは中国での反日感情の高まりなどを背景に、地政学上のリスク回避を目的とした〝チャイナ・プラス・ワン〟の動きが活発でした。最近は、中国政府の〝ゼロコロナ政策〟に対する生産地のリスク分散的な意味合いでのASEANシフトです。
今は200年ごとに変化する時代の節目にあたると言われています。産業革命や物質主義などの「土の時代」から、共生協働を重視する「風の時代」へと転換しつつある。当社もその流れに乗り遅れることなく、統合・融合効果を発揮して成長していきます。
ピンチをチャンスにする力で
東レ婦人・紳士衣料事業部長 野村建太さん
合繊メーカーの東レでファッションテキスタイルを企画販売する婦人・紳士衣料事業部。野村さんは22年11月、部長に就いた。8年ぶりに帰ってきた。
11年は、大阪勤務で今と同じ部署の課長になって、ちょうど1年目でした。東日本大震災の影響で一般衣料も買い控えが起き、需要が減少し苦戦したタイミング。しかし、「ファッションで世の中を元気にしよう」とピンチをチャンスに変える方針を立て、ファッション用途にはまだ少なかった機能性素材の開発・販売に注力し、乗り切りました。この経験がコロナ禍の逆境にも生きています。その時の新たな機能素材が大手SPA(製造小売業)に採用され、徐々に合繊の良さが浸透していったことを考えると、ファッション市場に機能性が定着する時代の変わり目だったかもしれませんね。
今年は部長1年目です。入社から20年間お世話になった思い出の部署なので、恩返ししたいという気持ちが大きいです。今はコロナ禍や円安など12年前とまた違ったマイナス要素がたくさんありますが、知恵を出し合ってピンチをチャンスにします。東レの開発力や人材など経営資源を生かし、国内外で業績を拡大させて日本や世界を元気にしたい。そして、開発した素材が製品になって着てもらい、女性に華やかに美しくなってもらえたらうれしいですね。
(繊研新聞新聞23年1月1日付)