■案外と把握できないカワイイ
前回、カワイイの意味にバルネラビリティ、つまり脆弱性が含まれていること、そして、この事実が案外と見過ごされてきたのではないかと書きました。ここでことば遊びをするつもりはないのですが、カワイイの意味にこだわるのには、いくつか理由があります。
わたしたち日本人にとって、カワイイという形容詞でしめされる価値観は、美の基軸としてあまりにも自明の存在です。そのため、かえって、このことばの指し示す意味や嗜好について、わたしたち自身、把握しきれていないように思えます。とりわけ、ファッション界はカワイイと結託しているといってもいいほど、服も雑貨もそれをもつ人も、カワイイと表現されることを好んできました。でも、いったいなにがカワイイにつながるのか、判然としないなかで新たなカワイイの要素を見つけ出すのは容易なことではありません。
もちろん、脆弱性だけがカワイイの要素だけではないかもしれません。ほかにも見過ごされてきたポイントがあるかもしれません。しかし、脆弱性に注目することで、カワイイの輪郭がより明確になるのではないかと考えます。
■各種データが示すつらい現実
なにがカワイイという枠組みの中に入っているのかを知っておくことは、カワイイの国際的な商業価値をハイレベルに保つためにも大事なことです。順調に日本国内で消費がすすめば、わたしたちがもつ価値観でできる商品や、その意味について考える必要などないかもしれません。でも、周知のように、人口動態をみても、雇用統計をみても、所得の推移をみても、内需が拡大するポジティブな材料はあまりありません。
最近よくとりあげられる、衣類の輸入浸透率(2009年)は金額ベースで68%(点数ベースでは95%)。繊維産業の製造品出荷額の推移をみると、1991年をピークに2012年はその1/3、繊維産業の事業所数及び従業者数は、1985年とくらべて2010年はそれぞれ1/4まで減少しています。そんな業界をこれから目指そうとするひとも、専門学校(服飾・家政)の生徒数の推移のデータは、1977年の9万人弱から2012年は2万人に落ち込んでいることを示しています。
その上、政府は「競争力が向上しない産業から競争力のある産業に生産要素をシフトさせることが必要」として、「生産性の低い産業を温存してきた」ことによってもたらされている、非正規雇用などをはじめとする諸問題に注視しています。繊維、ファッション産業と市場、後継者にまつわる数字をみるかぎり、この「温存」されてきた業界のひとつになってしまいかねません。
■カワイイを考える意味
多くのひとが「国外でも売れる物を」と考えざるを得ない状況です。素材を輸出する繊維産業がグローバルのニーズをとらえなければならないのはもちろん、製品として、グローバル市場にうってでるときの日本ファッションの切り札的特徴がカワイイだとしたら…その意味を考えることは、日本のファッションの市場性、とくに今後のグローバルに対するアプローチに直結します。
すでに遅きに失しているかもしれませんが、わたしたちがこよなく愛するこの価値観のもとで作られる物に、どのようなビジネス的ポテンシャルがあるのか。果たして賭けるに値するものなのか。それと同時にそこに落とし穴はないのか。あえて心理学のことばをつかうとすると、わたしたちの美の思考の準拠枠となっているこの価値観のもとで物を作り続けることが、真の問題を解決するための道筋を探しにくくしてしまっているのではないか、という懸念すらあります。
日本の繊維産業やファッション業界がむずかしい問題をかかえていることは、誰もが知るところです。理由は労働賃金をはじめ、いろいろあげられています。でも、データを確認するたびに、わたしたちをとりまく外的状況とは別に、なにか本質的な問題が見えなくなっているのではないかと考えてしまうのです。日本語のままで通用する、カワイイという価値観へのよりかかりについて考えることが、より大きな問題をさぐる糸口になるのでは、と感じています。
ほかにも、グローバルでカワイイ的なものがとりあげられるとき、それが全体のなかでどのような立ち位置におかれているのか、ということをカワイイの意味を探ることで、客観的に見定めることが可能なのではないか。そんな風に思っています。
■カワイイと脆弱性
カワイイの中身や脆弱性との関連を考えるとき、おもしろい本があります。小説家、詩人でもある中村真一郎が書いた『王朝物語』という評論作品です。これを読んでいたとき、平安時代の「美しう」が、いまの「可愛い」というニュアンスだった、という記述にあたりました。
中村は、平安時代の「美しう」は、現代フランス語が女性を形容する場合につかう、belle(客観的な美しさを示す形容詞)よりも、jolie(主観的にきれいと思う対象への形容詞)という感じ、だともいいます。平安時代の「美しう」の指し示す内容には、わたしたちの主観的判断の要素が含まれていそうだと気づかせてくれます。
そうはいっても、平安時代といまでは女性観をはじめ、価値観がだいぶ違うのでは、との異論もあるでしょう。わたしもそう思っていました。ですが、中村がこの『王朝物語』の中で取りあげている作品のひとつ『浜松中納言物語』には、現代につうじる女性観がいくつもでてきます。
たとえば、主人公は、日本の姫君たちが「実に消極的であり、イエス・ノーのはっきりしない、自主性のない生き方をしている」こと、また「人生に対して受け身の生き方を、男女ともに「奥床しい」美徳、洗練された生き方である」と考えていることを中国と比較した上で理解します。この物語の主人公の「発見」は、カワイイと脆弱性を考えるにあたって無視できない、と思い至りました。日本の姫君の特徴をひっくり返してみると、わたしたちが現在いうところの「かわいくない」といわれそうな資質がそろっています。つまり、「積極的で、イエス・ノーがはっきりして…」というふるまいになるからです。
中村は、この物語には、「この時代のあらゆる物語類から区別する、珍しい特徴」、すなわち、きわだった国際性があるといいます。そして、この物語の主人公ほど「当時の日本的文化を、特殊なものとして外から見るという視点をあたえられた人物は他にいない」、この作者について現代にも「全く適用され得る民族的特徴」をとらえた、「驚くほどすぐれた国際心理の専門家」と断言しています。
■脆弱性に対する感覚の変化
『浜松中納言物語』は、わたしたちの「美しう」とする美の感覚、つまりいまでいうところのカワイイには、消極性、決断ができない(ふりをする)脆弱性が切り離せないことを示唆してくれます。また、この消極性がどのように、「国際的」に評価され得るのか、ということについての記述としては、中国では「人格的に未成熟な存在として軽蔑されている」とあり、複雑な気分にさせられます。さらに、語源由来辞典などをみると、「かわいそう」と「かわいい」が「顔映ゆし」からでてきた兄弟のようなことばだとわかり、ここでもカワイイと脆弱性が結びつくのです。
でも、現代のランウェイにおけるカワイイ女性たちが軽蔑をふくんだ存在として位置づけられているとは決して思えません。脆弱性に対する西欧社会の感覚にもゆらぎが生じているように思えるからです。それは、次にご紹介するエピソードからもわかります。
7月1日にNHKで放送された「スーパープレゼンテーション」という番組のアマンダ・パーマーの回は、バルネラビリティというキーワードを考える上でとても興味深い内容でした。
ご覧になった方も多いかもしれませんが、ミュージシャンであるアマンダ・パーマーは、日本円で1億円以上の活動資金をクラウドファンディングによって集めたことで注目されました。番組では、「上手なお願いのしかた (The art of asking)」というタイトルでプレゼンテーションをしたのですが、そのような大金をどうやってファンに出させたのか、と聞かれたとき、彼女は出させたのではなく、支えてとお願いした、といいました。ただし、それが、アーティストにとっていかにむずかしいことであるか、こういっています。
” They don’t want to ask for things, but… It’s not easy. It’s not easy to ask. And a lot of artists have a problem with this. Asking makes you vulnerable.”
ここには、アーティストに限らず、自分を弱い存在、つまりバルネラブルにみせることを避けたいと思う心情が示されています。でも、アマンダはあえてそうしたわけです。ファンにとってアーティストは一種、神のような存在です。神は人びとに「こうしなさい」ということはあってもお願いしたりしない、という大前提をあえて覆したことによる成功例としてみることができます。
そして、西欧社会もまたバルネラブルであるとの認識が、これまでほどの抵抗もなく受入れられはじめていることがうかがえるのです。9.11やリーマンショック、ユーロ圏の財政格差の問題といったできごとを経て、強者であれと自分たちを鼓舞してきたけれど、ほとんどのひとはオキュパイデモでいうところの、99%の側だったことが認識されたのではないでしょうか。バルネラブルであってはいけない、という信念に変化がみえてきたように感じます。
ところで、アマンダの話から連想するのは、三波春夫という歌手の有名なフレーズ、「お客様は神様」です。古い話で恐縮ですが、ほとんどレジェンド的な発言なので、若い世代もご存知かもしれません。このことばはオーディエンスへのリスペクトからきていることを三波春夫の関係者は述べていますが、アマンダの発想に共通する感覚と、と同時にそれとはすこし異なる考えもまた含まれているように思えます。
つづきは次回。
参考
繊維産業の現状及び今後の展開について(経済産業省、2013)
NHK スーパープレゼンテーション
中村真一郎 『王朝物語』 新潮社1998
資料
衣類の輸入浸透率(出所:生産:経済産業省「工業統計」/財務省「貿易統計」)
繊維産業の事業所数及び従業者数(出所:経済産業省「工業統計」)
専門学校(服飾・家政)の生徒数の推移(出所:文部科学省 学校基本調査速報)
短期的なトレンドにすこし距離をおきながら、社会の関心がどこに向かっているのか考えてみるブログです。 あさぬま・こゆう クリエイティブ業界のトレンド予測情報を提供するWGSN Limited (本社英国ロンドン) 日本支局に在籍し、日本国内の契約企業に消費者動向を発信。社会デザイン学会、モード?ファッション研究会所属。消費論、欲望論などを研究する。