日本のメンズファッションを代表するデザイナーの一人、菊池武夫さん。ビギ、メンズビギを経て「タケオキクチ」を立ち上げ、DCブームを牽引した人物だ。業界では“タケ先生”として親しまれ、尊敬する後進デザイナーも多い。14年にブランド設立30周年を迎えたことを記念し、3月16日に「メルセデス・ベンツ・ファッション・ウィーク東京15~16年秋冬」の中でショーを行う。
"8年間はノータッチ。結果として、ブランドのアイデンティティーが分からなくなった”
――12年秋に「タケオキクチ」のクリエーティブディレクターに復帰した。 03年にタケオキクチの現役から手を引いていたので、約8年間ブランドを見ていませんでした。その間は相談も受け付けず、全くノータッチ。ブランドをやっていると、古いものと新しいものを融合するために決断しないといけないことが日々山ほどありますが、僕がいたらその決断の権限がはっきりしない思って。すごく反対されましたが、スパーンと切っちゃったんです。 それもある面良かったんですが、弊害もあった。会社なのでスタッフが入れ替わっていきます。その内にブランドを知っている人がスタッフの中にも少なくなってしまった。アイデンティティーが何だったのか分からない状態です。今ある現実は分かっているんだけど、そのもとになったものが見えない。 ブランドが終わっていくんだったらそれでもいいでしょう。でも、これからもきちっと続けていくなら、もう一度原点である僕自身の考え方を知ってもらいたい。それで復帰したわけなんです。 この問題はどんなブランドにも当てはまるもの。受け渡しの過程で失敗もある。失敗したらやり直して試行錯誤していくしかありません。ただ、僕らが作っているのは人が着る洋服であり、そこには(工業製品などとは異なる)思いがある。会社でやっていると「売るもの、商品」の面が強くて、洋服を作っているという面が段々弱くなるものです。 僕自身は若い頃からずっと服を作っているし、ブランドに対する思い入れもあるから、そうした思いを伝えていかないといけない。人が着るものだから、そこからは離れられません。日本って、古典的な芸能などは伝承されていくんだけれど、洋服は新しい社会の中のものだからまだ行き先がないんですよね。
"昔のように、自分達の思っていることを素直に出せば響く時代に”
――復帰から2年半が経ち、手応えは? 世の中全体の風潮として、今は消費者が個性を尊重する時代に入っている。どこにでもあるものは安くて必需品ならば買うけれど、洋服として面白いものを探す場合はそれとは別の角度でものを見るようになっている。 僕らのブランドでも、個性があるものの方が昔のように早く売れる傾向が出ていて、昔と同じように自分達の思っていることを素直に出せばお客さんはいるという実感はある。ファストファッションの出始めの頃やその影響が続いていた頃には、無かった感覚です。 ブランドのアイデンティティーはまだチーム内に浸透していないと思う。そんな単純なものじゃないですよ。基本的な部分だけでも4、5年はかかると思うんです。デザイナー、スタッフ、販売員と全てが一体となっていかないとイメージとして伝わらないので、若手の連中と取り組んでいきます。 大きいブランドになればなるほど(アイデンティティーを保ち続けるのは)難しい。糸からものができるまで、生産の全てを計画立ててやるわけですよね。それも一定の部分ではいいですが、ファッションって一過性の部分もたくさんあるし、社会事情で変化します。計画だけでは対応できない。そこに難しさがある。 いつも計画的に的確にやっていることの片側で、何か自分にも人にも刺激を与えるような不安定なものも必要で、その両輪です。安定と不安定が共存していないとお互いに確認ができなくて、片方だけでは絶対に先が見えなくなる。自然界にも不条理なことって沢山あります。人間も自然も宇宙の全てが、こうしたバランスでできています。 僕は昔からずっと同じようなことをしています。日本にファッションビジネスが無かった時からやり始めて、それを今も続けているっていうのは、幸せですよね。運やタイミングも良かった。情熱はね、いつもある。やったらつまんなくなるから、また次がやりたいと思う。22歳から初めて、今75歳。学生の頃も含めると、もう57年くらい洋服をやっている。
"今しかない、という「ナウイスト」な感覚でしかものが見れない"
――どういったアプローチで新しいものを作ってきたのか。 僕は何かが世の中に蔓延した状態になると、退屈極まりなくなるんです。つまらなくなったら次へ行かなきゃならないというのが絶えずあります。なるべくいつも退屈したくないから、絶えず変化して、アレッと思うことをやっていないといけない。 そのためには色んな方法がある。細かいディテールにもあるし、大きい流れの中にもある。音楽みたいなものでね、色んな音符があるように様々な形があるんですよ。単純に何なのかといえるほど世の中も人も簡単じゃない。たくさんのことが複雑に絡まっている中で、具体的にどんな形か、ということが大事です。 僕はずっとリアルクロージングとして、現実的、日常的な洋服をデザインしたいと思ってきました。最近はその考えがより強まって、今しかないという“ナウイスト”な感覚でしかものが見れない。その気持ちが途絶えたら僕の価値は無いので、そうなったらもう洋服はやれません。でも今はまだある。やりたいことが自然に出てくるんです。 16日にショーをやります。僕は英国のクリエーティブ集団のバッファローと仕事をしていた時期がありましたが、今回のショーではそれをまた復活します。バッファローとは異なる新しいメンバーですが、ミュージシャンや写真家なども含んだ、英国のスタイルを作っている連中です。僕の服が彼らと組み合わさった時にどうなっていくか。ナウイストというのにふさわしい形が出せると思っています。 小規模なフロアショーはやっていましたが、自分の思っていることをそのまま舞台に出すのは13年振り。というのも、80年代の終わり頃から、僕はショーに疑問を持ち始めたんです。ショーはやはり業界向けですから、ショップなり何なりの現実の中で表現をやった方がいいんじゃないかと思って。 でも、やっぱり思っていることを的確に表現するには、ショーが大事かなと思います。洋服だけでやっていると、表現したいことが伝わっているようで伝わっていないかもしれない。ショーで全体のイメージとして伝わった方が、圧倒的に強いですから。 ――改めて、今追い求める男性像は。 かっこよさも時代とともに変わっていきます。それをいつも考えてはいますが、セオリーはありません。日本では、セオリーがあって、それが口で説明できないと認めてもらえない。特にメンズウエアなんてマニュアルが90%くらいを占めます。たとえそれが合っているとしても、その時代には合っているっていうだけですよ。 時代に飽きる。飽きないと次にいけません。僕はその性格がわりと極端で、自分の判断基準がかっこよさの基準だと思ってるから、何のマニュアルもない。ただ、たまたま人より(気分の変化に)気付くということです。そういう感覚を大事にして、何かを思ってやっていれば共鳴してくれる人はいます。
"沢山のものがあると知らないと、すごくつまらない一生だなと思う"
――若い世代では、昔よりもファッションへの興味が薄れている。 今の専門学校生には、ファストファッションが最高のものだと思っている人がたくさんいるみたいです。確かにファストファッションにもいいものはあるんですが、それを最高というのは夢がない。世の中を知れば歴史もあるし、縦横の広がりがあるものです。 でも、日本人はとかく現象面だけを追い求めるので、何かが流行るといつもピンポイントで1点に向かってしまう。流行っているものの周りにある、色んなものを見ることが無い。食べ物もお笑いも洋服もそうです。取捨するのはいいんですが、色々ある状態の中から取り入れるというクセをつけないと、本当の意味で文化は育っていかない。 いつもピンポイントで対象を見つめる、そんな思考は危険だと思います。政治的な判断にしてもそう。近頃は極端な犯罪も多いですが、点と点だけで事象をつないで、周りを見ないからそうなる。自分がものすごく極端な判断をしていても、比較していないと気付きません。 昔は、先輩を見て社会を勉強しないと次にはいけないぞっていう空気が残っていたんです。だから勉強してステップアップしようとする。それがいいとか悪いとかじゃないですが、そのように色んな角度で沢山のものがあると知っていないと、人間っててすごくつまらない一生だなと思う。 僕らがやっていることはファッション全体の中ではほんの一部ですけど、一部でいいと思う。特殊でもいい。大小様々なことがあって、それが複雑に織り交ざってできているのが人間社会なんだという考え方を根底にしないと、世の中がものすごく単純化・短絡化されてしまう。 後進を育てた記憶は1回もありません。自分がやっていれば、取り入れたい人は取り入れるし、取り入れたくない人はやらない。それでいんだと思うんです。ただ、このブランドが何なのかっていうことだけは分かっていてくれないと。僕がどういう人生を送って成立してきたブランドかということが伝わればいいと思っています。
きくち・たけお 1939年東京都生まれ。64年注文服の制作をスタート。70年ビギ、75年メンズビギを設立し、84年にワールドに移籍して「タケオキクチ」を発表。03年にブランドを後任に引き継ぎ、「フォーティーカラッツ&525」をスタート。12年秋にタケオキクチに復帰した。