21年秋冬オートクチュールは、話題のブランドに注目が集まった。クチュールを再開した「バレンシアガ」や、「サカイ」の阿部千登勢がデザインする「ジャンポール・ゴルチエ」といったコレクションだ。ブランドの伝統や歴史、シグネチャーを背景に、新しい時代をどう描くのか。クチュールという文化を今の時代にどう位置付けていくのかが問われている。
(デジタル=小笠原拓郎、フィジカル=益井祐がパリで展示会取材)
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〈デジタル〉
バレンシアガは、クリストバル・バレンシアガがクチュールメゾンを閉じた1967年以来、初めてのクチュールを発表した。メゾンの50回目のクチュールコレクションであり、アーティスティックディレクターのデムナ・ヴァザリアの最初のクチュールとなる。ショーは黒のパンツスーツと赤い一輪のカーネーションのコントラストで始まった。1枚で着ている黒いジャケットの袖口からは、白いシャツ袖がのぞくトロンプルイユのデザイン。ブラックスーツやバイアスチェックドレスのウェストシェイプは、3Dスキャナーを使っているのか、この間のヴァザリアのデザインに特徴的な構築性を感じさせる。襟足を抜くようにして立体的なフォルムを作るジャケットやドレス、それはヴァザリアによるバレンシアガのプレタポルテのファーストコレクションにも見られたもの。無音のまま続くキャットウォーク、映像のカメラワークも淡々としている。それにもかかわらず、服に見入ってしまうのはなぜか。普通、無音のショーだとすぐに飽きてしまう。ましてやデジタルだと見るに堪えないはずなのに引き込まれていく。それはヴァザリア特有のデザインとクリストバルのカッティングの間に、ある種のオマージュのようなものを感じるからなのだろうか。そして、この間の延長線上にもあるデザインなのに、ルマリエやルサージュといったクチュールの手仕事の技術が服にテンションを与えている。きらびやかな刺繍のドレスの一方で、トラックスーツやマウンテンパーカといったアイテムをエレガンスへと転用し、日常性とクチュールの間の新たな歴史を描こうとしている。50回目のクチュールという伝統の重みとともに、クチュールメゾンとしての未来への意志を感じさせる。
〈フィジカル〉
良い意味でも、悪い意味でも期待を裏切らなかったバレンシアガ。ショーの会場となったオートクチュールサロンはブランドの祖、クリストバル・バレンシアガが1968年にアトリエを閉鎖するまで、ジョルジュサンク10番地の同じ建物にあったサロンを再現したものだ。オーガニックな曲線をたたえるドアや窓を囲うフレーム、つぼなどの調度品も当時の写真で見たことがある。ふと壁に目を当てると天井から伸びる水漏れのような跡、ずさんな工事なのかと思えば実は古く見せるための演出。そんなヴァザリアらしいタッチはジュエリーにも見受けられた。オリジナルのレプリカをただ作るのではなく、時に石の一つが欠けているような使用感を加えた。ショーの映像を見た時から気になっていたタオル地のバスローブ風コートは、実は薄くはいだレザーに細かく切れ目を入れ、毛羽立ちを表現した素材でできていた。バレンシアガを代表するアーカイブのシルエットにストリートの要素を加える、正直に言って予想以上の解釈は出てこなかった。そして大きく抜いた襟、オーバーサイズのテーラード、スポーツウェアなど、これまでのヒット作の要素をラグジュアリーな素材と完璧なテーラーリングで再構築。やはり実物を見るとその美しさには感服するが、衝撃的ではなかった。しかしながら今回のクチュールデビューコレクションは、ヴァザリアのこれまでの集大成ともいえるので、これで良かったのかもしれない。またレディスのイメージの強いクチュールにメンズやジェンダーレスの可能性も提案していたが、その先にはミュージシャンやセレブなどトレンドの色の強い新しい時代のクチュール顧客の姿が見えている。ちなみに価格はサロンでのアポイントでないと教えてくれないようだ。
〈デジタル〉
阿部千登勢によるゴルチエの新解釈
ジャンポール・ゴルチエとサカイの協業による21年秋冬オートクチュールがついに披露された。ゴルチエ・パリ・バイ・サカイは阿部千登勢によるジャンポール・ゴルチエの新解釈。コロナ禍で発表がずれ込んでいるが、毎シーズン、新しいクリエイターがジャンポール・ゴルチエのコードを引き継ぎ、独自の解釈でクチュールコレクションを発表する。その第1弾だ。コレクションは、サカイの持つアイテムミックスのハイブリッドデザインとゴルチエの体への意識が混ざり合ったクリエイション。ピンストライプのパンツスーツやトレンチコートの解体といったゴルチエのシグネチャーともいえるデザインが、阿部の視点で違う形で再構築される。それは、ゴルチエのデコンストラクトがフェティッシュな女性らしさをはらんでいるのに対して、サカイのそれはガーリーを進化させたデコンストラクトであること。この両者が重なり合うと、これまでのゴルチエでもこれまでのサカイでもないミックス&マッチとなって新しい存在感を示す。MA-1のクチュールセットアップ、たくさんのジーンズをつるしたデニムドレス、デニムのコンビネゾンはヒップにバッスルのようなふくらみを持たせる。サカイのアイコンともいえるバンダナのようなパネルプリントとゴルチエのアイコンのタトゥープリントが共鳴しているようにも見えた。
メゾン・マルジェラは、フィルム形式でコレクションを配信した。「ア・フォーク・ホラー・テール」と題したフィルムは、幾世代にもわたる文化の記憶を描いたストーリー。海辺の村にまつわるホラーや文化の継承を描きながら、メゾン・マルジェラらしい使い込まれた服の持つ魅力を伝えている。ジョン・ガリアーノらしいコンセプチュアルなストーリーテリングだが、服の力を感じるにはやはり映像では限界がある。ただ、なぜこのボロルックにも似たアイテムがこんなに存在感を出すのか、という疑問が湧いてくる。例えば、インサイドアウトで裏地のストライプを表に見せたショートジャケットは、シーム部分の立体感と服のボリュームが特別感を出している。パッデッドのボリュームコートは至るところが切り刻まれ、キャミソールドレスもアシンメトリーな量感やドレープが立体感を作る。その古着のような質感がなぜ、不思議な力を宿すのか。それは、マルタン・マルジェラ本人がこのブランドを始めた時から見ているものにとっては、ずっと続く疑問でもあり核心でもある。経年変化していくことでにじみ出るテクスチャーの〝味〟のようなものが、このブランドの歴史に受け継がれている。今回、ガリアーノがどんなテクニックでこのメゾンの伝統を再解釈したのか、映像では伝わりにくい。プレスリリースによると、「ビンテージやデッドストック生地で作られた慣れ親しんだフォルムのガーメントは、8~12倍にスケールアップされ、サイズを圧縮するために用いられる酵素とストーンウォッシュ加工によって新たなシェイプに変形される。その過程で生地は摩滅し、本来の色があらわになる」と記されている。海辺の村の文化の継承を描きながら、それがこのメゾンの歴史そのものとシンクロしているようにも感じられた。
〈フィジカル〉
アレクシ・マビーユは、これまでにないほどポジティブなエネルギーを発していた。タキシードがブレンドインしたドレスなど、得意のテーラーリングを駆使したデザインの一方で、花のモチーフが多用されていた。ブーケのような胸元や透明のスパンコールを敷き詰めたオーガンディの袖の中にはシリコーンの花々。そんな花への愛は体に巻きついたり、袖に花開く大輪のバラ、さらには自らをかぶり物でバラ人間にまでしてしまっていた。ボディースーツに重ねられた大きく広がるチュールのスカートは、ケープとしても使えてフレキシブル。