「学校に行っても、先生は教えてくれない」。そう聞くと驚かれるかもしれません。私の通っていたアントワープ王立アカデミーは、まさにそんな学校でした。今、ヨーロッパのファッション教育は「知識や技術を教える場」ではなく、学生が日々「評価を受ける場」へと変わりつつあります。
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40年続く体制
毎回の授業にはできる限りの作品を持ち込み、先生にプレゼンテーションします。先生は「これは良い」「ここが弱い」「やり直し」「落ちそう」と評価を伝えるだけです。それ以上のことは自分で考え、自分で答えを出さないといけないのです。そして、1年に2回行われる「審査」の結果で進級が決まります。20点満点20項目。10点未満の項目が一つでもあると落第です。卒業には全80項目を完遂しなければなりません。

デザインの授業は週に2回。1クラス60人とすれば、6時間の授業で1人当たりの持ち時間は6分ほどです。その短い時間にプレゼンを行い、前回から何を改善したか、次に何をするかを伝えます。学生たちは毎週必死ですが、意外にも学生同士で競い合うことはなく、むしろ助け合います。先生たちは学生を横並びで比べるのではなく、卒業生と比較するからです。教師陣は30年以上変わらず、カリキュラムも40年以上同じ形式が続いています。今では世界的に知られるデザイナーたちも、同じカリキュラムを乗り越えてきたのです。

私は異なる2人の学長のもとで学びました。ウォルター・ヴァン・ベイレンドンク氏の時代は、印象中心の評価でした。作品だけでなく、日常の振る舞いや感性、社交性なども見られます。寝ずに作業をしていても、朝には服装を整え、学校では余裕があるよう振る舞う。作品と同時に雰囲気や存在感までもが評価対象であり、まさに才能の世界でした。
一方、ブランドン・ウェン氏の時代になると、評価はより現実的で透明になりました。作品そのものが重視され、授業では具体的なフィードバックが返ってきます。外部講師や業界のベテランたちを招いたワークショップも行われ、より外からの意見を取り入れるなど、評価の多様化も進みました。

評価が生む力
なぜここまで評価型の教育が徹底されているのか。学生をふるいにかけ、それでも残る学生を見つけ出すためだったのかもしれません。毎年、平均して半数の学生が落第します。学校はポテンシャルのある学生を入学させ、厳しい評価を通して選び抜き、そこから有名デザイナーを輩出することで、より優秀な学生が集まるという循環を生み出しています。
この環境は学生にとって常に大きなストレスを伴いますが、同時に、自分の個性を見つめ、磨く場でもあります。誰かに教わるのではなく、自ら学び、続く評価の中で手応えと挫折を繰り返し、よりリアルな個性や方法を見つけ出せるのです。こうした経験の積み重ねで、評価に耐える力や、自分の表現を貫きながらも変化に対応できる柔軟性が身に着くのです。

ファッション教育の役割は、知識を授けるのではなく、自ら探求し続ける人材を育成することに移行しているのです。

