「ヒロタカ」は、今最も勢いのあるクリエイター系ジュエリーブランドの一つ。ミニマルでスタイリッシュなそのジュエリーは、ニューヨークで人気に火が付き、その後日本でもファンを増やしてきた。この間のイヤカフブームの火付け役でもある。ビジネス面では、卸を広げると共に、コロナ下に次々に有力商業施設に直営店を出店。今秋も3店舗のオープンを控える。中でも11月に開業する麻布台ヒルズは、初のハイジュエリーラインを置く新業態「メゾン・ヒロタカ」として出店。そのクリエイションとビジネスについて、これまでの足跡を尋ねた。
パリでの出会い機に人生を賭けた勝負へ
――スタートは異業種から。
カリフォルニア州立大学に行って政治科学を専攻し、帰国後に半導体製造装置メーカーに入社しました。人事部と海外営業統括部に所属していました。94年ごろの日本の半導体といえば最先端です。クリエイティブな上司たちに囲まれ、仕事自体はハッピーでしたが、2年で退社しました。辞めた理由は、最終的に、自分の会社が扱う商品がハイテク過ぎてなんだかわからないというところにありました。ちゃんと自分で理解できるものを情熱を持って扱いたいと、もがいていたんです。
会社を辞めた後、パリに行きました。そこでジュエリーのすごいコレクターに出会ったことが、この業界に入るきっかけになりました。その方にお会いし、ずっと自分にうそをついて生きてきたなと分かったんです。
小さいころから絵を描くのが好き。大内順子さんの『ファッション通信』を見ているような子供で、夢の世界につながるようなファッションやアート、そしてジュエリーのことがすごく好きでした。ガーランドスタイルのジュエリーの美しさに引かれたり、希少なコンクパールがどんな貝から採れるとか、メゾンの伝説的なジュエリーにまつわる物語だとか。そんな雑学も恐ろしく知っていたのですが、仕事につながるとは思わなかった。親から、アートじゃ食えないとさんざんたたき込まれていましたから。
それが、パリでコレクターに出会った時に全部外れたわけです。自分の情熱は、ジュエリーにあったんだと。人生を賭けて、自分のジュエリーで世界で勝負してみたい。人生がようやく始まった感じでした。その方が、後に上司となるハイジュエリーのデザイナーを紹介して下さり、ジュエリー企業の柏圭に入社しました。幸運なことに商品企画室に配属され、基礎から学ばせて頂きました。
――ブランド立ち上げは。
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