著書「ロンドン・コレクション1984-2017 才気を放つ83人の出発点」が発売されて3ヶ月半。実際に執筆・編集作業を終えてからは5ヶ月が経つ。
最後の最後に決めた本のタイトルに「1984-2017」と「2017」を入れることにこだわった理由は、出版本後記第1回目で触れた通り。2017年そして2018年は、ロンドン・コレクションはもちろんデザイナーコレクションにとって大きな転機であり、ここで1つの章を終わらせたかったからだ。
現体制でロンドン・コレクションが行われるようになった1984年から2017年までを4つの時代に分け、その当時に登場した新人デザイナーたちのインタビューとコレクション写真で綴るアーカイブ本。いよいよその出版後初めてのロンドン・コレクションが先週末から開催された(1月にメンズコレクションはありましたが...)。
「ジェイ・ダブリュー・アンダーソン」が男女一緒に発表、クリストファー・ベイリーによる「バーバリー」最後のコレクション、「マルベリー」による初めてのシーナウ・バイナウ形式の発表など見どころはいくつかある。
もっとも、ショーをやめたり、ブランド自体を閉鎖してしまうデザイナーは後を経たない。ショースケジュールに組み込まれているものの、「これまでのようなショーとは違った形で発表します」と事前にお知らせをいただいているブランドもいくつかある。
サステイナブルへの関心やSNSの台頭などを受け、コレクションを取り巻く状況がドラスティックに変化する中、皆が試行錯誤をしている。正直なところ、盛り上がりという意味では下降路線まっしぐらであることは否めない。
もっとも、いつでもロンドン・コレクションの新しい流れはどん底の時に生まれてきた。そんな意味で、今シーズンは開催前からいつも以上にワクワクする楽しみなシーズンとも言える(その内容については、小笠原編集委員とともに執筆する速報記事をご覧ください)。
さて、その2018?19年秋冬ロンドン・コレクションで公式スケジュールに組み込まれてショーおよびプレゼンテーションを行うのは74ブランド。数的にはここ何年も変わっていないが、毎回新人がどんどんデビューしているということは、消えるブランドも同じ数あるということ。
「ロンドン・コレクション1984-2017 才気を放つ83人の出発点」で紹介しているのは73ブランド82人のデザイナーたち。そのうち、今シーズンロンドンでショーをする(あるいは1月のメンズに参加した)のは23ブランド。4章で紹介している14ブランドはこの10年以内にデビューした現在の新進デザイナーなので、大半が今シーズンも参加しているが、それ以前、つまり10年以上前にデビューしたブランドに絞ると、59ブランド中10ブランドということになる。
本での登場順(ほぼデビュー順)にブランド名をあげると、「パム・ホッグ」、「チャラヤン」(フセイン・チャラヤン)、「アントニオ・ベラルディ」、「ロクサンダ」(ロクサンダ・イリンチック)、「アシッシュ」、「ガレス・ピュー」、「アーデム」、「クリストファー・ケイン」、「ハウス・オブ・ホランド」、「ピーター、ピロット」。
ずっとロンドンで発表し続けているブランドもあれば、「チャラヤン」や「アントニオ・ベラルディ」、「ガレス・ピュー」のように一時期他都市に発表の場を移し、その後ロンドンにカムバックしたブランドもある。
では、残りの49ブランドのデザイナーたちは今何をしているのだろうか。
その1:死亡
突然ここから入るが、亡くなってしまったデザイナーが2人いる。まずはご存知の通り、2010年に自ら命を絶ったアレキサンダー・マックイーン。もう1人は16年秋に心臓発作により39歳の若さで他界したリチャード・ニコルである。
その2:出世
紆余曲折があったものの、世界的なトップデザイナーの1人として活躍するジョン・ガリアーノがその代表。そして、キム・ジョーンズ。自身のブランドは閉鎖したものの、「ダンヒル」を経て「ルイ・ヴィトン」のメンズのアーティスティック・ディレクターに就任した。先日退任のニュースが流れ、今後の噂話が耐えないが、世界的に活躍する著名デザイナーに登りつめた数少ないデザイナーの1人である。
その3:オルタナティブ
ブランドとしては活動を続けているが、ショーではなく違った形で新作を発表しているデザイナー。息子のチャーリーとの親子デザイナーとしてコレクションを発表しているジョー・ケイスリー・ヘイフォード(ケイスリー・ヘイドード)、ニットを中心に人気ブランドとしての地位を不動のものとしているベラ・フロイド、クチュールブランドに転身したジャイルズ・ディーコンなど。
その4:デザイナー
フリーランスでブランドと契約していたり、どこかのブランドのヘッドを務めたり、デザイン会社を運営したり。自身のブランドは閉鎖してしまっても、しっかりファッションデザイナーとして活躍している人たち。数的には一番多い。
その5:インテリアデザイナー
その後の消息を調べていて意外に多かったのが、インテリアの分野で活躍しているデザイナーだった。80年代ロンドンのスターデザイナーだったリファット・オズベックは、故郷のトルコの企業と組んで、ホームファニシングブランド「ヤスティク・バイ・リファット・オズベック」を手がけている。
マシュー・ウィリアムソンもネッタポルが独占販売するビーチウエアでほんの一部ファッションにも携わっているが、現在はインテリアデザイナーとして活躍。独自の鮮やかな色や柄を生かしたソファーやラグだけでなく、ホテルや個人宅のインテリアもデザインしている。
90年代リメイクシーンをリードしたラッセル・セージも現在は自身のインテリアデザイン会社を構え、ホテルの客室やレストラン、バーなどを数多くデザイン。彼の場合はファッションブランドを始める前にもインテリアの仕事をしたり、サーカスの芸人になったりと様々な才能を発揮していたが、落ち着くべきところに落ち着いたといったところだろうか。
アルカディウスはポーランド出身だが現在はブラジルを拠点にアーティストとして建築、インテリア、家具などを手がけている。故郷のジャマイカ(両親は英国人)に戻りデザイナー兼アーティストとして活躍し、「A.P.C」と組んだキルトコレクション(ベッドカバーやクッションなど)を作り続けているジェシカ・オグデンもその1人と言えるかもしれない。
その6:教師
自身のブランドを運営している頃から母校で教えたり、ブランド閉鎖後に教職に就くのはある意味一番フツーな選択であり、ロンドンのデザイナーに限ったことではない。しかし、ロンドンの新進デザイナーたちのその選択は、少々大げさだが、世界のファッションデザイン教育の未来を担う重要なポジションにある。
まず、ファッションデザイン教育においては世界的にトップクラスにあるセントラル・セントマーチン美術大学のMAコース(修士課程)で主任教授を務めるのはファビオ・ピラス。アレキサンダー・マックイーンやフセイン・チャラヤンらとともに、90年代ロンドンのクールブリタニアを牽引した新進デザイナーの1人である。
そして、今シーズンのロンドン・コレクションで初めて公式スケジュールに組み込まれて学生の合同ショーを見せるウエストミンスター大学のBA(学士)ファッションコースの主任教授はアンドリュー・グローブス。同じく90年代ロンドンの新進デザイナーで、かなりぶっ飛んだ作風や演出で「20世紀最後の鬼才」と騒がれた人だ。
この2人は、90年代当時のロングインタビューに加え、第5章「ファッションカレッジの教授たちが語る教育現場」で、その20年後の教授としてのインタビューも掲載している。
もう1人、同じく90年代の新進デザイナーとして紹介しているトリスタン・ウェバーは王立芸術大学でレディスウエアの主任教授を務めている。そして、同大学院のレディスとメンズを合わせたファッション部門のヘッドを務めるのは、ゾーイ・ブローチ。本ではページを割いて紹介できなかったが、同じく90年の新進ブランド、「ブーディカ」の2人組デザイナーの1人である。
ロンドンの大学だけではない。
やはり、今回は最後の最後まで候補に入れておきながらも、ページ数の関係で単独ページを作ることを断念したシェリー・フォックスも、現在はニューヨークのパーソンズ美術大学でMFA(修士課程)のヘッドを務めている。
セントラル・セントマーチン美術大学でファビオの前任者であり、14年に他界したルイーズ・ウィルソン教授は、アレキサンダー・マックイーンからクリストファー・ケインまで、ロンドンの有力デザイナーたちが恩師として絶大な敬意を示すロンドンファッション界の重鎮。とりわけ、今世紀に入ってからの10年強は、ロンドンの新人達の大半が彼女の教え子という、並外れた指導力を持っていた。
そのウィルソン教授は「多くの人がここはスターデザイナーを育成する学校だと誤解しているが、卒業生の大半は様々な企業で働いている。その仕事ぶりはスターデザイナーと同様、いやそれ以上に貴重なものである」と語っている。
それはそのまま、ロンドン・コレクションにも置き換えられるかもしれない。長年新人デザイナーのふ化装置として機能してきたロンドン・コレクションは、自身のブランドをインターナショナルレベルに昇華させて活躍するデザイナーだけでなく、そこでの経験をもとに様々な分野で活躍する貴重な人材も輩出している。
あっと気がつけば、ロンドン在住が人生の半分を超してしまった。もっとも、まだ知らなかった昔ながらの英国、突如登場した新しい英国との出会いに、驚きや共感、失望を繰り返す日々は20ウン年前の来英時と変らない。そんな新米気分の発見をランダムに紹介します。繊研新聞ロンドン通信員