「彼女はニュージェンがはじまって以来、はじめてのフランス人なのよ」。
2015年春夏ロンドン・コレクションにプレゼンテーションでデビューを飾ったフォスティンヌ・シュタインメッツの会場で、英国ファッション協会のアナ・オルシーニさんがそう話かけてきた。
そういえば、今までロンドンでフランス人の新人デザイナーはいなかったかもしれない。強いて言えばシャルル・アナスタスぐらいだろうか。彼の場合は母がフランス人でフランス育ちだが、生まれはイギリス。デビューもロンドンではなくパリだったからロンドン発の新人とは言えないかもしれない。
「ニュージェン」は1994年から20年間続く協会による新人支援プロジェクトで、ショーやプレゼン、展示会を含め毎回10ブランド前後が選出される。これまでイタリア、ドイツ、スイス、オーストラリア、セルビア、トルコ、あるいは日本、韓国などなど様々な国籍の英国在住の新人が参加したが、確かにフランス人ははじめてだ。
そのフランス人女性、フォスティンヌの新作は気が遠くなるような手仕事によるデニムウエアで、今シーズンのデビュー組の中でダントツに輝いていた。 パリでファッションを学んだ後、ロンドンのセントマーティン美術大学の修士課程に進むために来英。そのままロンドンを拠点に創作活動をしている。
でも、どうしてロンドンに?
「アン・ソフィー・バックなど、共感できる好きなデザイナーがいたから」。それほどフランス訛りを感じさせない英語で、フォスティンヌはそう答えた。
織りから染色、縫製まですべてアトリエでの手仕事というデニムクチュールでデビューを飾ったフォスティンヌ・シュタインメッツ
ロンドン・コレクションが開催された9月半ばごろからだろうか、私がフレンチブームを自覚したのは。ブームという表現が的確なのかどうかわからないが、今年に入ってやたらとフランス系のものに縁がある。
パリの老舗ラゲージブランド「モワナ」がオープンし、春にはそのオープニングに、そしてつい最近もファレル・ウイリアムスとのコラボラインの発表イベントに行ったばかり。
その翌週には、10月末から6週間にわたって開催されるという「ピエール・エルメ」の新作チョコレートフェアの試食会へ行った。
ファッション系プレスエージェントのライフスタイル部門の担当者からのお誘いで、ナイツブリッジにある旗艦店に赴いたのだが、近々コベントガーデンにも新ショップをオープンする。
エルメと言えばなんたってフランス本国よりも店舗数が多い日本では有名だが、ロンドンではそれほど知られていない。この旗艦店がオープンしたのも2010年とたったの4年前。その他にはセルフリッジ百貨店にインショップがあるだけである。つまり、2号店開店はまさにビジネスの広がりを印象づける。
ピエール・エルメの新作チョコレート試食会。フランス訛りの英語の説明がなぜか心地よい
パリのパティスリーといえば、フィリップ・コンティチーニの店「ラ・バティスリー・デ・レーヴ」も今年初めマリルボーン・ハイストリートに1号店を出して上陸。夏には、早々とサウスケンジントンに2号店もオープンした。
随分昔からフランス人シェフによるフレンチレストランは数多くあったが、ここ最近一気にパティスリーが注目といったところである。
話をファッションに戻そう。
「モワナ」があるマウントストリートは、ボンドストリートに次ぐラグジュアリー街として今注目の通りだが、今年に入ってから「セリーヌ」も旗艦店を出した。
まあ、そうしたラグジュアリー系ファッションブランドは昔から皆、ロンドンに路面店を構えていたので、今のフレンチブームと結びつける話ではないかもしれないが、この短い通りには「ランバン」「クリスチャン・ルブタン」「ゴヤール」など、イタリア系に比べてフランス系が目立つのは気のせいだろうか。
それよりも、注目したいのは大人のデイリーウエアチェーンの勢いだ。日本でも知られている「ザディグ&ヴォルテール」「サンドロ」「マージュ」「ザ・クープルズ」などの出店が加速している。今年夏には「イロ」もサウスケンジントンにロンドン1号店をオープンした。
そのオープン時の新聞記事は、どの媒体も「フランス系ブランドの進撃が止まらない」といった書き出しをしている。「ネクスト」や「ジグソー」などの英国ブランドが確実にシェアを奪われている。
でも、どうして今フランスなのだろうか。
今年夏、西ロンドンのハマースミスにオープンした「パティスリー・セイント アン」の恵子マラシさんに聞いてみた。マラシさんはパリに19年間同じ店名のパティスリーをフランス人のご主人と経営していた日本人女性。息子さんが5代目という、代々続くフランチパティスリー一家だ。
パリの店を閉め、家族でロンドンに移住した理由はいろいろあるが、一番はフランスでは個人経営の店を続けて行く事の将来性が見えないことだったという。
「フランスという国は、アルチザン的なビジネスを支援する姿勢がない。税金も高くて一生懸命働いてもいっこうに儲からない。それに比べて、イギリスにはやる気のある人が成長できるチャンスがある」。
フランス人の間でそうした情報は広がり、マラシさん一家をはじめ、ロンドンに移住してくる人々が多いそうだ。フランスこそアルチザン的なもの作りをする人々にとって住みやすい国という印象があるので、少々びっくりする。
ロンドンでフランス人が多く住むエリアとしては、中心街西に位置するサウスケンジントンが有名。フランスのリセもあり、フランス系のショップも多い。しかし家賃も高くて飽和状態。そこで、さらに西のハマースミス界隈までフレンチエリアが広がっている。
「お店のまわりにはたくさんのフランス人がいます。そんなフランス人のために本場フランスのパンやケーキを売っています」とマラシさん。
顧客の80%がフランス人だという。フランスのベーカリーチェーン「ポール」が上陸して20年ぐらいになるだろうか。ロンドンのあちらこちらに店を構えているが、「パティスリー・セイント アン」のように小麦粉からこだわった自家製のフランスのパンやケーキを売る店はなかった。
今年8月にオープンしたパティスリー・セイント アン
5代目のマルタンさんが作るホームメードのケーキ
フランス人人口の急増は肌で感じる。昨日もバスで帰宅中、後ろの座席に座っていた親子が盛んにフランス語で話しており、そのなんともふんわりとしたリズムを聞きながら心地よく居眠りをした。
そして、それを裏付ける事実であり、個人的に大歓迎なことが1つある。スーパーマーケットの「ウエイトローズ」の精肉売り場に最近、バベットが登場したこと。
ハラミの牛肉バベットはフランスでは一般的なステーキ肉で、ミディアムレアでさっと焼いてベアルネーズソースをかけ、フレンチフライを添えて食べれば絶品。
でも、イギリスの食生活には縁がなく、ハロッズにでも行かない限り、サーロインやランプはあってもバベットはなかった。そこで、パリにコレクション取材に行く度に、精肉店でバベットを買ってロンドンに持ち帰っていた。
今はいつでも食べたい時にバベットが食べられる。フレンチブーム万歳!
あっと気がつけば、ロンドン在住が人生の半分を超してしまった。もっとも、まだ知らなかった昔ながらの英国、突如登場した新しい英国との出会いに、驚きや共感、失望を繰り返す日々は20ウン年前の来英時と変らない。そんな新米気分の発見をランダムに紹介します。繊研新聞ロンドン通信員