日本にいてラグジュアリーブランドの〝モノづくり〟に携わることは、まれである。当時私はグローバル展開するジュエリーブランドの日本支社営業部長だったが、本国の提案する商品展開に少々不満を抱いていた。日本側の意向をくみ入れてもらうためにプレゼンもしたが、進みそうになかったため、思い付いたのが取引先百貨店のバイヤーと一緒にモノづくりをする提案だった。
各方面と協議を重ね、主力商品であるブレスレットのケーブル部分をレザーラッピングしたステンレスチェーンを提案。細い革ひもを中空にしてステンレスの針金を通すという珍しいもので、当時国内では、大阪の工場でしかできないものだった。高い技術が必要で大量生産ができない、ラグジュアリーブランドのモノづくりと共通する。
デザインや色、革の素材選びなどを全て日本側で行い、製造段階で本社は介入させなかった。最終工程のみ本国で検品を兼ねて行う形。製造、輸出、再輸入という手間はあったが満足できる仕上がりになった。
これがきっかけになったかは定かではないが、多くのケーブルバリエーションがその後展開されることに発展した。ジャパン社と百貨店がタッグを組んで本社を動かした好事例だと思う。単なる取引先百貨店ではなく、ビジネスパートナーとしてお客様に喜んでもらえるモノづくりができた。
(広陵高田ビジネスサポートセンター長)
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「私のビジネス日記帳」はファッションビジネス業界を代表する経営者・著名人に執筆いただいているコラムです。