ベテラン記者によるジーンズの深いぃ話-11

2015/10/13 12:29 更新


 ジーンズを担当して20年の繊研新聞記者が、方々で仕入れてきたジーンズ&デニムのマニアック過ぎる話を、出し惜しみせず書き連ねます。
 11回にわたる不定期連載も、今回が最終回。「なぜ日本ブランドがプレミアムジーンズブームを作れなかったのか」「なぜ日本のジーンズは輸出産業になりえなかったのか」――。長年の問題意識に迫る記者渾身の一本。

実用衣料からファッションアイテムへ
ジーンズのイメージ変えたプレミアムジーンズ

◇ブームの裏話

 2001年の秋、米国のジーンズブランド「セブン・フォー・オール・マンカインド」(セブン)が日本で発売された。米国ではすでに前年の2000年に発売され、フレッドシーガルやバーニーズなどの有力セレクトショプが取り扱い、好調な売れ行きを示していた。米国での評判を聞きつけた日本の小売店からの引き合いも強く、当時の代理店のカイタックインターナショナルでは大手百貨店や有力セレクトショップとの取引が決まった。ここから1万円を超える米国高級ジーンズ(プレミアムジーンズ)のブームが始まる。

 それまでも日本に輸入物の高級ジーンズのマーケットはあったが、デザイナーブランドのカジュアルラインや、「ディーゼル」のようなトータルカジュアルブランドの1アイテムであり、ジーンズ単品ブランドではそうした存在はほとんどなかった。プレミアムジーンズのルーツは米国ブランドの「アールジーン」だという人もいる。アールジーンは90年代後半に日本でも流行したが、それに続くブランドは現れなかった。それに対して2002年以降、「セブンに続け」とばかりに米国で続々と高級ジーンズの新ブランドが登場し、日本に上陸した。

日本の加工技術の存在

 セブンの誕生には日本の加工技術が深くかかわっている。カイタックインターナショナルは米国にカイタック・ガーメント・プロセッシング(CGP)というジーンズの加工場を持っていた。自社で米国発のブランドを立ち上げるのが当初の目的だったが。それがなかなかうまくいかず、工場をどうしようかというときにセブンのデザイナーと巡り合い、セブンの加工を手掛けるようになった。デザイナーのジェローム・ダーハン氏がCGPの中で研究を続けて開発したのがセブンだったという。それが縁でカイタックインターナショナルがセブンの日本の代理店となった。

 当時の米国のジーンズマーケットは20ドル台のジーンズが中心で、「リーバイス」でも30ドル台のものが多く、それ以上の高級ジーンズはデザイナーブランドぐらいで、一般的に米国はジーンズでは低価格マーケットと見られていた。リーバイスが米国での生産をどんどん縮小していた時代に、高級ジーンズを生産する縫製工場や加工場がそれだけの規模で米国に残っていたことは意外でもあった。

 セブンに続けとばかりに、「ペーパーデニム&クロス」「AGアドリアーノ・ゴールドシュミット」「ブルーカルト」などのプレミアムジーンズブランドが雨後の筍のように続々と登場した。米国でプレミアムジーンズが人気となったのはハリウッドの女優などセレブ(セレブリティー)と呼ばれる人が着用し、話題となったことが大きい。

神戸エレガンスにはまった

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 当時の日本では神戸エレガンスと呼ばれる流れがきていた。「OLの上品なキャリアぽいスタイリングにプレミアムジーンズがうまくはまった」(インポーター)という。それまでジーンズをはいていなかったOLたちが、今までと同じトップスや靴、バッグとプレミアムジーンズを合わせても同じ着こなしができると考え、通勤着としてジーンズが着用されるようになった。インポーターも「プレミアムジーンズを買うのはこれまでナショナルブランドのジーンズをはいていなかった人たち。だからジーンズ専門店ではなくインポート商品を扱う店にもっていかないといけない」と考えた。

 それまでのジーンズのイメージとは異なるスタイリッシュなジーンズの登場と、日本のファッショントレンドがうまくマッチし、プレミアムジーンズはまたたく間に女性に広がっていった。米国ではセレブが着用し、それが話題を呼んで日本の雑誌が取り上げ、百貨店やセレクトショップなどがこぞってプレミアムジーンズを扱う売り場を広げていった。それまで日本のジーンズメーカーも1万円を超えるジーンズを出してはいたが、初めて高級ジーンズのマーケットが日本で本格的に形成された。

ピーク時は300億円市場

 ピーク時には1万円を超える高級ジーンズのマーケット規模は米国ブランドだけで300億円(小売価格)を超えていたとみられる。ブームは2005年頃まで続き、「トゥルーレリジョン」や「Jブランド」などのヒットブランドが誕生した。Jブランドはかなり細身のストレッチジーンズが人気を呼び、スキニーという言葉を日本に定着させた。

 プレミアムジーンズはロサンゼルス周辺など米国で縫製・加工するものが多かったが、デニムは日本やイタリアのものを使うブランドが多かった。日本のデニムを採用する理由を尋ねたところ、品質の高さを挙げる声はもちろん多かったが、「加工しやすいから」と教えてくれた人がいた。生産性に優れていることが海外からみた日本のデニムの強みだとそのとき知った。

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◇なぜ日本でできなかったのか

 プレミアムジーンズが成功した要素を考えたとき、「なぜ日本でできなかったのか」と考えてしまう。プレミアムジーンズがヒットした要因はスタイリッシュなシルエットやパターンの工夫、上質な素材と高度な加工やステッチ・付属などによるデザイン、そしてセレブの着用による宣伝効果だろう。

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 記者は昔、世界的なジーンズデザイナーであるアドリアーノ・ゴールドシュミット氏に「日本のジーンズはなぜ輸出産業になれなかったと思うか」と質問したことがある。日本には世界トップレベルのデニムや素材開発力がある。縫製や加工技術も一流、ジーンズのデザイナーではないが欧州のコレクションで活躍する世界的なデザイナーが何人もいる。岡山や児島(倉敷市)でジーンズを作ることは欧米のジーンズデザイナーにとってはあこがれで、「オカヤマ」や「コジマ」の名前はブランドともいえるほどのネームバリューをもつ。

 こうした世界で通用する要素をいくつも持ち合わせながら、なぜ日本のジーンズメーカーは日本発のプレミアムジーンズを作れなかったのか。質問に対するゴールドシュミット氏の答えは「それはフィットの問題だ」というものだった。日本人は品質や機能性に優れたものを作り出すことには長けていても、海外の女性をうならせるようなシルエットを開発できなかったという意味だろうと自分なりに理解した。

日本の服飾専門学校で講演した際のアドリアーノ・ゴールドシュミット氏
日本の服飾専門学校で講演した際のアドリアーノ・ゴールドシュミット氏
消費者のワクワク、ひと目でいかに

 2014年に繊研新聞社が開催した公開対談で、石川涼せーの社長が次のように語っていた。「今のファッションには見ただけで伝わる楽しさが足りていない。素材や生地の良さなんて画像ではわからないし、そもそも若い人は求めていない。服が売れない理由をファストファッションのせいにしている業界人に言いたい。感性を刺激できないお前が悪いと」。

 商品の価値を、素材や品質、機能、トレンドへの対応、そして価格の安さに限定して考えているうちは、自分たちの商品が売れない本当の理由は見えてこない。商品が売れるかどうかの本質は、消費者にいかにワクワクしてもらえるか、それをひと目見ただけで伝えられるかにかかっている。

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電機メーカーの構図と重なる

 日本の電機メーカーはアップルやサムスンに敗れたといわれるが、プレミアムジーンズについても同じ構図にみえる。iPhoneの最初のモデルには日本企業が作った部品がかなり使われていたという。プレミアムジーンズも日本のデニムを使うものが多かった。日本のジーンズメーカーはプレミアムジーンズを作り出せる要素をいくつも持ち合わせながら、それができなかった。日本人は欧米ブランドに弱いということはもちろんあるだろう。日本のジーンズを海外に輸出すると、現地での小売価格が日本の2、3倍になるという壁もある。

 何年か前に、ファッション関連だがジーンズでは門外漢の企業がジーンズの企画・生産に取り組んで人気ブランドとなった。その会社の社長に取材したことがある。彼は「ジーンズメーカーは、消費者がそれほど重視していない部分で、ジーンズはこうあるべきだという変なこだわりを持っているのではないか」と語った。

固定概念から脱せよ

 2005年にリーバイ・ストラウスジャパンがヒットさせたレディスジーンズ「ターコイズ」を記者が初めて見たとき、これぞメーカーの本領発揮ともいえる”オーラ”を感じたことがある。そんなオーラを感じさせる力が弱くなっているのだとしたら残念でならない。前述の社長が言うように、ものづくりを自分たちの固定概念の中だけで考えているうちは、自分たちにできなかった本当の理由は見えてこないのかもしれない。

終わり/播岡尊文

※イメージ写真/Shutterstock.com



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