ディバイスファクトリー(大阪市、中島浩二代表)は、02年設立のカットソーアイテム企業だ。子供服出身の2人が手掛ける。同名ブランドで自社ECと実店舗で販売、卸先の開拓も始めた。着用感に敏感な子供服の経験を生かしたニットのような着心地が特徴。苦しい時代もあったが、昨年から運用するSNSの広告効果でじわじわとファンを増やしている。
(永松浩介)
試行錯誤の連続
中島代表が長く勤めた子供服メーカー、フィス時代の同僚の林寛之さんと創業。林さんは古着屋で仕入れや販売の経験があり詳しい。最初は子供服から。モチーフは2人が好きなビンテージの古着で、カットソーアイテムが中心だ。もっとも企画の経験はないため、所有する古着などを見本に工場に発注した。
始めてから5年ぐらいまでは試行錯誤の連続。作りたい服のイメージと出来上がったサンプルが合わないし、価格も高い。そんな具合だからセールスには苦労した。前職の得意先には頼らなかったこともあり、4年目ぐらいには資金が尽きる寸前まで来ていた。
そこにネイティブ柄のベストが起死回生のヒット。5年目でようやく一息つき、長居公園に近接する住宅街に事務所を兼ねる店舗を開設した。
その後、安くておしゃれな子供服が市場を席巻、あおりを食った。2人だったからしのげたが、子供服の需要は減り続けたため、16年から大人服に取り組むことに。元々自分たちが着たい服を子供向けにサイズダウンしたものだから、さほど難しくはない。「価格も通りやすい」と中島さん。
子供服時代の経験が生きたのは発見だった。子供はファッションで我慢をしないから、着やすいと素直に喜ぶし、逆だと嫌がる。そこを徹底して改善してきたから大人が袖を通すと小さな感動を生む。生地の生産委託先は和歌山と中国・上海。つり編み機とトンプキン編み機でゆっくり編み上げたものだ。
長文の「接客」
18年ごろにECサイトを立ち上げ、コロナ下にはインスタグラムの投稿と広告運用を始めた。当初はECですぐに売れたわけではないが、問い合わせや来店が増えた。メールには画像もつけて丁寧に返答するから勢い、長文になる。「もう、接客ですね」
来店は意外にも関東からが多く、わざわざ来るぐらいだからほぼ100%購入に至る。うち、7割ほどがリピーターになるという。
店頭には10年着用したスウェットなども展示。その丈夫さと風合いの良さを感じてもらい、〝消費期限〟の長さの価値を訴える。「小さな会社が出来るSDGs(持続可能な開発目標)」と中島さん。代表アイテムのジップのパーカが税抜き2万3500円、Tシャツも1万円以上。
見た目がキャッチーな商品ではないため、最近始めた卸販売には苦労しているが、SNSの運用を通じて問い合わせも来るようになり、別注も始めた。
どこまで行ってもニッチな商品。だから逆に海外に打って出たいという。見た目はアメカジだが、わび・さびにも通じる生地のフェード感や生地のテンションの繊細さは日本人ならではだから、可能性を感じている。ニッチだが、広い世界にはこんな商品を待つ客がいるはずと2人は考えている。