【パーソン】元林社長 元林承治さん 延長線上に未来はない
創業115周年を迎える雑貨製造販売の老舗が動いた。創業以来本社は大阪に置いていたが、今年1月、思い切って神戸に拠点を移した。これまでの延長線上では成長はないとし、人心も一新して新時代に立ち向かう姿勢を表したものといえる。喫煙具、100円ショップ向け商品、ファッショングッズ、ブランドの輸入代理店、ライフスタイル雑貨などさまざまな事業がある中、キーワードはブランディングとグローバルとする。
大阪で生まれた会社やけど
――神戸に本社を移した理由は。
私は2010年に社長に就任し今年で10年になります。会社は115周年という節目でもあります。企業の寿命は30年とよく言われますが、30年で大きく世の中が変わるという周期があります。わが社を振り返ってみても、20年から30年で事業内容が大きく変わってきました。
たとえば、喫煙具の中でもオイルライターは手広く手掛けていました。日本でオイルライターは80年代から広がり、ピークの98年では年間約200万個が売れていました。ところが、昨年は50万個まで落ちています。
ここ数年、わが社を巡って大きな変化がありました。イタリアのバッグ「オロビアンコ」は長く輸入販売してきましたが、伊藤忠商事、エースが中心になることに変わりました。
また、喫煙具では「アイコス」など加熱式たばこが出てきました。こんなに広がるとは思わなかったのですが、世の中が大きく変わりました。ライターをギフトとして贈ることはますます減ります。このまま同じことを続けていてはえらいことになる。延長線上に未来はないと考えました。
――会社の置かれた状況と神戸への移転の関係は。
一つは旧大阪本社ビルの問題がありました。18年に大きな台風が来た時、ビルがかなり揺れたんですね。このビルを維持するには、耐震補強工事や外壁修繕などで約1億円が必要とわかりました。これまでは4、5、6階に分かれて仕事をしており、1フロアで働きたいという声が社員からもありました。やはり、事業部ごとに壁もありました。思い切って場所を変わるのもありかな、そうすれば社員の気持ちも変わるのではと考えたんです。
――移転に関して社員のとらえ方は。
うちは代々元林家が経営し、元林ビル(旧大阪本社)があり、ここにいたら安泰という意識が社内にあったと思います。〝元林城〟を出るわけですから、(社長は)本気なんだなと思ったでしょう。
神戸ということは意識していなかったんですが、ファッションをやるなら神戸やと思いますし、もともとさまざまな外国の人が住むインターナショナルな街ですからね。オフィスは1フロアで165坪(545平方メートル)あります。
移転を決めた後知ったことですが、大阪から神戸に本社を移すと、神戸市が3年間家賃の4分の1を補助する制度があり、移転経費が軽減されました。大阪から神戸に住民票を移した従業員には一人当たり120万円が出る制度もあります。
(旧本社の)大阪には堀江オフィスというサテライトを置きました。奈良や南大阪の人たちは神戸に通勤するのに2時間以上かかるということもあるので。自宅勤務も含め、働き方改革の時代ですし、リモートワークの実験にもなります。
ちなみに、東京支店も昨年11月、人形町から渋谷に移転しました。渋谷はファッションの街で、パルコも渋谷スクランブルスクエアも近くにあり、街の変化がよく見えます。
――社員の反応は。
最初はなぜ神戸なのかという声もあり、不安がる社員もいました。移ってみたら、もうみな落ち着いて仕事をしています。フリーアドレスにしたのも良かったです。以前は社員の机の下は資料などでぐちゃぐちゃでしたから。今はきれいな環境となっており、これも働き方改革ですね。
社長室もなくしました。以前もそんなに社長室にはいなかったつもりですが、やっぱり部屋にいることも多かったですね。今はいろんな声が聞こえますし、みんなの顔色がすぐにわかります。結局、社長室はいらなかったですね。
ブランディングとグローバル
――これからの事業発展の方向性は。
わが社は歴史的にはメーカーとしてスタートしています。当初はステッキを製造していました。戦後はライターなどの問屋業に進出。95年に私がソニーを辞めて元林に入社して感じたのは、これから問屋業でやっていけるのかなということでした。軸を変える必要があると思い、ファブレスの製造卸に進みました。
その中の一つとして、中国で生産した使い捨てライターをコンビニエンスストアに売る事業を手掛けました。しかし利幅が薄く、もうかりません。ただ、これがきっかけで100円均一商品のビジネスが柱に育ったということもあります。ですからどうしても次の軸が必要です。
――具体的には。
一つのキーワードがブランディングです。デザイン性やファッション性を伴うことです。工場を持つ気はありませんが、メーカーが直接売るという発想です。同じような物でも選ばれるブランドになることです。昭和の歌ではありませんが、大阪で生まれた会社やけど、神戸でブランド化を進めます。
――たとえば、喫煙具では。
「ブリケ」というスモーキングカフェを2店運営しています。これまでお世話になった愛煙家への恩返しの事業でもあります。今後、ブランディングを強め、この空間にいることがかっこいいという存在になるとともに、スモーカーのパートナーになりたいと考えています。機会があればさらに店舗を増やす考えです。
100円均一商品は今、セリアさんの要望に基づいて作っています。元林のオリジナル商品を企画し、ブランドでくくるということが考えられます。25年の大阪万博で販売できないかと考えています。
――もう一つのキーワードは。
グローバルです。今は海外売り上げの比率が5%しかありません。国内市場は縮小していくので、どうせなら魚のいるところに糸を出すべきです。中国、東南アジアを中心に欧州も想定しています。時間がかかってもやります。新型コロナウイルスの影響で遅れていますが、今始めようとしているのは、上海を拠点とした中国での販売です。形としては中国で作り、売るのがいいと思います。
そうなるとやはりブランドが必要です。独占輸入販売しているバッグの「ジャスM.B」や「メイク・ワット・ユー・ウィル」も対象になります。昨年10月、上海ファッションウィークに初めて出展し、日本製のオリジナルバッグ「プレイ」は全く無名なのに約100万円を受注しました。
喫煙具も中国で可能性があります。中国ではオイルライターが年間400万個売れています。うちのオリジナルで国産オイルライターの「ギアトップ」は既に販売していますが、日本製ライターの仲間に声を掛け、メイド・イン・ジャパンライターとして売ることもできると思います。
中国のファッションは今、DCブランドブームだった日本の80年代のように勢いがあります。新しいブランドを代理店となって日本に紹介することも考えられます。
――中期計画のめどは。
今年5月にはできます。先日も幹部20人が1泊2日の合宿で議論しましたし、今全社で作ろうとしています。(社員にとって)自らの5カ年計画となることが大事です。
既存事業だけではなく、新しいことを始めないといけません。この間、(新規ビジネスの)発表会を設定したんですが、だれも案を出さなかったんです。それでもその後いくつかプランが出てきました。一つは既存のサプライソースを使って海外に売り、為替リスクも下げるという案です。うちのサプライヤーのネットワークはすごいんです。100円均一商品だけでも様々な国の企業とつながっています。
インバウンド(訪日外国人)を対象とするビジネスも発案されました。せっかく海外から人が来ているのに、売る商品がない状況で、事業化したいと思います。
25年には創業120年を迎えます。この時に、「元林は変わったな」と言われるようにしたいですね。
■元林
1905年大阪で西海金蔵商店として発足。当初はステッキを製造し、元林金蔵が考案したハッカパイプがヒットした。戦後はライターなど喫煙具を主力に業績を伸ばし、創業75周年の80年には、年商50億円を達成。イタリアのバッグ「オロビアンコ」の輸入販売も手掛けてきた。08年に同ブランドを中心とするセレクトショップ「クアトロアンゴリ」1号店を出し、全国に10店まで広げた。現在はスモーキングカフェ「ブリケ」、100円均一商品、フィンランドのバッグ「ルミ」の日本総代理店、ロンドンを拠点とするバッグデザイナー、ジャス・センビ氏が手掛ける「メイク・ワット・ユー・ウィル」など4ブランドの独占販売を事業化している。欧米のナチュラルコスメの販売、デンマークの「ソストレーネグレーネ」の物流業務など、関連ビジネスも手掛けている。
【記者メモ】
元林は老舗でありながら、既成概念にとらわれることなく、新しい事業を次々と仕掛ける会社だ。主力事業は服飾、生活雑貨の製造輸入卸ということになるが、その幅は広く、常に内容を更新していく。
失敗した事業も少なからずあるものの、あくまで挑戦的な姿勢を続けている。クリエイター系など、他社ブランドを生産、物流、販売といった側面からサポートするプロデュース業も手掛けてきている。100年以上にわたって変化を乗り越えてきた歴史があり、さまざまな取り組みでネットワークを広げてきたからこそできる事業だ。
企業ステートメントは「明日をMotto楽しくする元林」。神戸の新本社からは美しい六甲の山並みが見える。学生時代を阪神間、神戸で過ごした元林社長にとっては、青春時代がよみがえる場所という。社長室をなくし、1フロアで働く社員とともにどんな新機軸を打ち出し、新しい老舗の姿を見せるのか楽しみだ。
(古川富雄)
(繊研新聞本紙20年3月13日付け)