私は大学卒業後、大阪の会社に3年間勤めたのち、1981年にヤマニに入社しました。当時の会社はベルト業界では知られていましたが、ハンドバッグ業界では全くの無名でした。
小さなハンドバッグメーカーを営んでいた経験のある叔父が在籍していたのですが、私がもともとかばん好きだったこともあり、叔父に「かばんの作り方を教えてほしい」と頼んだのがバッグ事業に着手するきっかけです。やがて叔父と叔父の工房で働いていた社員と3人でバッグの仕事をするようになりました。
最初の仕事は1983年の「クレージュ」のOEM(相手先ブランドによる生産)でした。バッグの仕事をする中でものづくりと商売の基礎を学びました。当社は当時、植田商事、グランドキャニオンといった問屋からのOEMの仕事が中心で、自分たちで企画販売したいという思いが強くなっていきました。
転機となったのが近文商事との「ランバン」のライセンス契約で、ヤマニにとって初めて自ら企画・生産するビジネスへの挑戦でした。しかし、小売店への卸は問屋であり、ヤマニは直販ルートはない。悩んでたどり着いたのが、サンイーグル装身具を退職され、百貨店に強いネットワークを持つ大和繁夫さんと組む方法でした。大和さんの会社、フォーラムに資本参加(後に100%子会社)し、ランバンを同社経由で卸すことで販路拡大の足掛かりを得ました。
(ヤマニ社長 中澤貞充)
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「私のビジネス日記帳」はファッションビジネス業界を代表する経営者・著名人に執筆いただいているコラムです。
