えっ?服が売れねぇ?/アパレル業界は誰が殺すって?/知ったこっちゃねぇー!/俺らがシーンの改革をしてやるよ/おもろい業界にみんなで変えて行こうぜ――軽快にヒップホップを歌うのは、大阪の服地コンバーター、小原屋繊維企画営業部課長の村上博昭さんだ。コロナ下でSNSを通して生地の紹介を始め、ラップで業界の実態や働く人の思いを広く届けている。
(関麻生衣)
1円でも稼がなきゃ
11年に20代前半で同社に入社した以前はラッパーを夢見て、工場で働きながらクラブでライブをしていた。島根県で生まれ育ち、初めてヒップホップに触れた時は中学生。ラップは18歳で始めた。服が好きで、工場を退社してラップも辞めてからは服屋に3年勤めた。「そろそろちゃんと働かないと」と小原屋繊維の門をたたいた。
転機はコロナ下に訪れた。営業がままならなくなり、先行きを案じてSNSの発信に糸口を探った。生地の原料や組成、風合いなどを画面の向こうの視聴者に熱心に語った。「全然バズらなくて、再生回数は伸びなかった」が「1円でも稼がなきゃ」と必死だった。
フォロワーは少しずつ増え、生地を切り売りで注文する消費者もいた。「生地のことを歌にしてほしい」との声も寄せられ、ラップを再び歌う契機になった。何より、幼なじみの「売れなくても、ばかにされても歌い続けなきゃ」との言葉が背中を強く押した。
I am テキスタイラー!/俺は俺であることを証明/経糸のよう気持ちは直線
デビュー曲を21年に発表した。周囲には「何を考えているかわからない」と言う人もいるが、「心が折れない限り、ラップと繊維企業の営業の二足のわらじでやっていきたい」意志は固い。人手不足や不透明な時代が産地や工場の未来に暗い影を落とすが、小さな活動でも業界の現状を伝えていかなければ「未来がない」との危機感がある。
通ずるマインド
ヒップホップは米国の貧困な若者の社会的立場や苦しい経済状況への訴えから生まれた文化であり、ラップはその表現の一つ。繊維産業の切迫感を歌で表すことは「ヒップホップのマインドにも通ずる」。
ラップを響かせるのは業界内だけではない。消費者に服が原料の調達から様々な工程を経て作られ、複雑な業界構造に見合った価格で服が売られる必要性を知ってもらうための助けになればとも考える。一人でも多くの人の理解が繊維産業に希望をもたらすかもしれない。ほのかな期待が原動力だ。曲の収録やミュージックビデオの撮影などには思いに共鳴した異業種の友人たちが手を貸す。
25年春夏向けの展示会に合わせ『綿と麻』を出した。同社の強みは麻だが、麻の高騰を受けて綿を使った提案もあることを印象付けるための試み。社長と上司の前でラップを披露して実現した。展示会では来場者にCDを配布した。
綿、綿、綿と麻/夢とか希望を織れんのかな?
ラップで業界を励ます営業として今日も奔走する。