私は幼い頃から、自分の背の高さくらいのスピーカーの前に座り、全神経を耳に集中させ、そこから出てくる音を聴くことが大好きでした。特にホロヴィッツのピアノの音が好きで毎日毎日、幼稚園から帰るとすぐにプレーヤーの電源を入れ、クリーナーでレコードのほこりを拭い、針をレコードの溝の上に置いて、ジジっと針がレコードに触れた音と一緒に最初の音を待つ、あのワクワク感。一音目が鳴るやいなや、私の全てが従順に耳と一体化し、音が入ってくる喜びを全身で受け止めるのです。
体験で覚醒していく
特に私がとりこになったのは、息を飲むようなピアニッシモの音色です。最弱音から最強音まで自由自在に操られる音量の中で、突然に耳をそばだてないと聴こえないような弱音(じゃくおん)を特別なタイミングで登場させ、曲をクライマックスへ導いていく高揚感。それを耳が中毒症状のように欲し、何度も何度も繰り返して聴いていました。感情の喜怒哀楽のどの訴えも、より切実なものへと一瞬にして変容させてしまう。このピアニッシモの力は本当にすごいのです。
一方で、「聴きとる訓練をしないと、ピアニッシモで至福を感じることができない」ことも知りました。中学校で音楽教諭を手伝ったときです。以来、至福を感じる耳をどうやったら作れるのかが、私の大きなテーマとなり、1年生から3年生まで700人ほどの子供たちに様々な実践ワークを体験してもらい、聴く耳が徐々に覚醒していく様を観察させてもらいました。
例えば、ピアノの音をジャーンと1回鳴らすと、音が何秒間聴こえると思いますか? 5秒でしょうか。10秒? それとも60秒?
最初、中学生たちは5秒もすると、ざわざわし出して聴くことをしません。しかし、音が減衰して消え入る様を耳が感知し、ひとたび心地良いと感じると、皆、60秒近く息をこらし、耳心地の良さを楽しめるようになります。
生きる上で必要なこと
こうした体験を通し「幼い頃から美しい音の瞬間を感じる耳を育んでもらいたい」との思いが強まり、全国でコンサートツアーを開き、開催地の保育園や幼稚園、小学校、中学校、高校で「聴育ワーク」を行っています。0歳児から大人まで楽しめる音楽会を追求しており、来年3月27日には東京のサントリーホールで、コンサート×おしばい「ショパン物語」ピアノ協奏曲第1番を公演します。
「この耳の体験は子供たちがこれから生きていく上でとても必要なことです」。ある園長先生の言葉が、私たち音楽家の活動を強く励ましてくれています。
(一般社団法人みむみむの森芸術文化振興グループ代表 ピアニスト・三村真理)
